10月の第2土曜日、合唱練習の後のお茶の会は、ベビー・ラッシュでした。この日、バッハの森にデビューした生後3ヶ月の英(はな)ちゃん、それに生後5ヶ月の幸也(たつや)ちゃんと2歳の真和(まな)ちゃんを、代わる代わるあやしたり抱いたりする大人たちの間を、6歳の潤也ちゃんが走り回っていました。大人だけが集まる普段のお茶とは違って、騒々しい、華やいだ雰囲気の賑やかな会でした。
いつもそうなのですが、このときも赤ちゃんたちを見つめながら、わたしは不思議な感慨にとらわれていました。自分も含めて、今、赤ちゃんを囲んでいる大人たちが、全員、本当に、かつてはこんな赤ちゃんだったのかという思いです。これほど紛れもない事実が不思議に思えるから不思議です。
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幼児にとっては、この世に生まれてきて3ヶ月、5ヶ月はもちろん、2年たっても6年たっても、見るもの、聞く音、感じること、すべてが新しい驚きだということが容易に想像できます。しかも彼らは、泣いたり、笑ったり、怒ったり、抱きついたりして、感じたことを、誰にも気兼ねせず率直に表現します。
当然、成長するにつれて、そのような表現は許されないことを学びながら、わたしたちは大人になってきました。もちろん、これは大切なことです。それにもかかわらず、大人になる教育を受けているうちに、わたしたちは、見るもの、聞く音、感じること、すべてが新しい驚きであった幼児の感受性を失い、感じたこと、思ったことを率直に表現する方法も忘れてしまったのではないでしょうか。このような“大人の生き方”に、わたしは疑問を覚えます。そこには、“幼児の生き方”に満ち溢れている“生きる力”すなわち“命”が欠落しているからです。
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大人が再び幼児になることはできません。しかし大人にも、一度失った“命溢れる生き方”を取り戻すことができるというメッセージを、バッハのカンタータ「私たちの許に留まってください」(BWV 6)が伝えています。これは、レンブラントの有名な宗教画にもなったテーマです。
この物語によると、ナザレのイェスが十字架で処刑された後、怖くなってエルサレムから逃げ出した2人の弟子が、道中、道連れになった人と3人で夕食を始めようとしたとき、その人が復活したイェスだと気づきます。その途端、イェスの姿は消えますが、道中イェスから話しを聞いていたとき、自分たちの“心が燃えた”ことを思い出すと、直ちにエルサレムに引き返し、その不思議な経験を人々に伝えた、という物語です。
「復活のイェス」の代わりに、バッハの音楽でも、コラールの意味でも、オルガンの弾き方でもかまいません。バッハの森の活動に参加して、「あぁそうか、分かった」という経験をしたら、それは“心が燃えた”ということです。実際、そのような経験をした、という話を何人もの方々から聞きました。
合唱、オルガン、ハンドベル、種々の研究会、コンサートなど、バッハの森のすべての活動は、参加者の“心が燃え”、その経験を人々に伝えずにはおられないという思いを養い育てるために開かれてきました。わたしたちが見失っている“幼児の生きる力”を取り戻すことを目して。この活動に皆様のご参加をお待ちしております。
(石田友雄)
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西洋の宗教音楽を主要なテーマとするバッハの森の活動は、当然、バッハの宗教曲を中心に、合唱やオルガン、ハンドベルなどの演奏を学ぶことですが、宗教曲を演奏するためにその歌詞を学ぼうとすると、どうしても聖書を読む必要が生じます。西洋の宗教音楽の歌詞が、基本的に聖書の引用とそのパラフレーズから成り立っているからです。要するに、宗教音楽は聖書の知識を前提とする音楽なのです。
しかし、一般に日本では、聖書を読んだことがある人は余りいません。そこで、バッハの森の研究会には聖書を持参していただくことになっています。持ってない方には買ってきていただきますが、それより難しいのは、分厚い書物である聖書を開いて問題の箇所をみつけることです。誰でも最初は四苦八苦しますが、最近は慣れた人が多くなりました。
それでも、研究会では、聖書を読むと言っても、問題の歌詞の引用箇所ぐらいです。ところが、このような部分的な読み方では聖書がよく分からない。そうかと言って、自分で読んでみてもさっぱり分からない。歌詞の引用箇所を拾い読みするだけではなく、聖書それ自身を読んでみたいという要望に応えて、2001年の秋のシーズンに、石田友雄を講師とする「聖書を読む会」が始まりました。以来7年間、参加者の顔ぶれが時々変わったり、参加人数に増減があったりしましたが、ともかく毎週1回、こつこつと聖書を読んできました。まず旧約聖書巻頭の創世記から始めて、出エジプト記、それにイザヤ書などの預言書を読み、今年の秋のシーズンからは、新約聖書の福音書を読み始めたところです。
このリポートでは、バッハの森では、どのような読み方で聖書を読んでいるか、その様子を報告します。そのために、まず現在の参加者に自由に感想を述べていただき、最後に読み始めたばかりの福音書について学んだことを紹介します。
司会(石田友雄):これまで「聖書を読む会」で何を学んだか、何が印象に残っているか、その他、何でも自由にお話しください。
A:私は7年前に始まったときから、少々中断はありましたが、ずっと参加してきました。教会とは違う立場というのでしょうか、客観的というのでしょうか、子供のときから聞いてきた“お話”とは大分違う聖書の読み方に大変興味を持ちました。たとえば、印象に残っていることを一つあげれば、創世記を読み出したときに“トーレドット”というヘブライ語を教えていただきました。「系図」と翻訳されるこの言葉の元の意味が「生む」であることを知ると、聖書の「系図」は親が子供を生むという行為の連続を示していることが分かりました。そして、それまで単なる名前の羅列だと思っていた「系図」が、人間の歴史なんだということが理解されました。
B:私は最近1年ほど休みましたが、7年前に創世記を読み出してから、ほとんどずっと出席してきました。私は、バッハの森に来るまで聖書を読んだことが全くありません。さわったことすらないと言うべきでしょうか。それでも、バッハの森で創世記を読み出すと、たちまち聖書の魅力にとりつかれました。私にとって聖書の魅力は、一言で言うと、数千年に及ぶ文化の積み重ねの重さと言えるでしょうか。それも、「選民」の自覚を持つ人々の独特な文化であり、実に濃密な時間をどうやって生きるか考えた人たちの記録なんですね。明らかに、私たち日本人とは違う次元で生きていた人たちの生きる知恵に興味をそそられました。
C:私はBさんにさそわれてこの会に参加するようになりました。これまでに、宗教というより文化的な興味から聖書を個人的に読んだことがありますが、どうもよく分からない。特に旧約聖書には歯が立たず、結局、通読することは止めました。詩篇の一部は心に残りましたが。バッハの森で旧約聖書を読みだして、大きな歴史の流れの中に自分もいるということを感じるようになりました。しばしば、あぁ、こういうことか、という発見があり、聖書が味わえるようになりました。ただし、ヘブライの預言者たちは誰一人、幸福な生涯を送ったとは思えませんし、ナザレのイェスに至っては十字架にかけられて殺されたわけで、あやかりたくはないですね(笑い)。
D:バッハの森には合唱に参加して歌うために来たのですが、聖書には昔からなんとなく関心がありました。でも読んでみても分からないので、どうすれば分かるようになるかと思っていました。聖書を歴史的に読むことを学び、楽しんでいます。
E:祖母と叔母がクリスチャンだったことや、音楽を学んだ大学がキリスト教系だったことなどの影響を受けて、私も前から聖書に興味がありました。でもいざ読んでみると、自分勝手な解釈しかできず、教会にいくと、もっと分からなくなるので止めました。バッハの森で読んでいるように、客観的に知りたいのです。合唱で歌っていますが、聖書による歌詞の意味が分かると、歌いやすくなることを経験してきました。
F:最初、バッハの森という名前を聞いたときは、私には縁がない敷居が高い所だと思っていましたが、タウン紙に「聖書を読む会」という広告を発見して恐る恐るうかがったら、幸いなことに、旧約聖書の中でも大変興味深い「第2イザヤ」を読んでいました。それから1年半たちましたが、ずっと楽しく参加させていただいております。聖書は幼少の頃からいつも身近にあった書物でしたが、若いころは抵抗感があって、素直に読んだことがありませんでした。特に旧約聖書は難しいと感じていました。バッハの森では、聖書自体を読むのが、とても良いと思います。聖書の研究書も少々読んでみたことがありますが、こういう書物はたいてい聖書を“廻って”ばかりいて、聖書そのものについては書いてありません。
C:聖書を“廻って”ばかりというお話しで思い出すのは、教会で聖書について質問すると、普通の人の疑問には答えてくれないことを度々経験しました。聖書の周辺というか、教会の教えは詳しく語ってくれるのですが、聖書そのものに関するこちらの質問にはさっぱり答えてくれないのです。
F:どうも教会の土俵と普通の日本人の土俵が違うんですね。
C:バッハの森では、聖書に関して、普通の人が聞いて納得できる議論をしてます。
A:私はここで聖書を考えて読むことを学びました。たとえば、「神」という言葉が出てきた場合、それまでは、特に何も考えずに読んでいましたが、状況に応じて神様は別々の顔をなさっているんですね。優しい愛の神様の場合もあれば、怒っている恐ろしい神様の場合もある。それを考えながら読むようになったということです。
B:ヘブライ語で「顔」は複数名詞だというお話も印象に残っています。顔に現れる表情がいろいろ変化するように顔もいろいろあるわけで、当然、神様もいろんな顔をするわけですね。それから、聖書が一つの意見でまとまっていないということも面白い発見でした。創世記の1章ではまず天地、それからいろいろな動植物、最後に人間が創造されるのに、2章では人間が動植物より先に創造される。
司会:確かに、聖書には、いろいろな意見が並べて記録されてます。今、私たちが読んでいる福音書も4冊あって、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人の人たちが、それぞれの見地から、イェス・キリストについて報告していますね。これを1冊の福音書にまとめてしまわなかったところが、いかにも聖書なんですね。聖書を編集した人たちは、「一つの事実」を報告するより、もっと大切なことを伝えたかったのですね。
福音書を読み始めたとき、まず各福音書の結びの物語を読みました。誰が何を目的に福音書を書いたかを知るためです。すると、4福音書の結びの物語は、それぞれ違う内容をしているのですが、そこに共通点があることを発見しました。それは、福音書をまとめた人たちは、皆、「復活したイェスに出会って感動した人たち」であり、「復活したイェスとは誰か」ということを世界中の人たちに知らせることに燃えていた、ということです。ですから、これから福音書を読み進めていくうちに、「復活したイェスとは誰か」、「彼に出会う」とはどういうことかが、明らかになるはずです。
次に各福音書の初めの言葉を読んで比較してみました。これまた4福音書、それぞれが全く違う物語なのですが、共通点があることも見えてきました。そのことを端的に表現するヨハネの初めの言葉、「初めに言葉があった」は、「復活したイェスに出会った」ときに(自分の)世界が始まったという、福音書を書いた人たちの経験を語っている、ということが分かったのです。
このように、私たちは、聖書を読みながら考える面白さを味わっています。
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7. 11 出席 新公益法人制度説明会(県庁)、石田友雄氏。
7. 12 大掃除 & 相談会 19名。
8. 2 書類整理 7名。
8. 22 来訪 藤田和子氏(NPOアシア・アフリカ研究所代表理事)、藤田憲氏(明海大学経済学部講師)。
9. 4 出席 新公益法人制度説明会(県庁)、石田友雄氏。
9. 5 運営委員会 参加者4名。
9. 13 準備会 6名。
9. 17 秋のシーズン開始
10. 9 来訪 安達尚博氏(茨城県生活文化課係長)、今川 敬秀氏(同課長補佐)。
9. 20 第242回(三位一体後第10主日)、
カンタータ「私たちから取り去ってください、主よ、誠実な神よ」(BWV 101);
オルガン:J. S. バッハ「天の王国にいます我らの父よ」(BWV 737)、石田一子。参加者19名。
9. 27 第243回(三位一体後第11主日)、
カンタータ「主イェス・キリストよ、あなた、いと高い宝よ」(BWV 113);
オルガン:G. F. カウフマン「同上」、海東俊恵。参加者11名。
10. 4 第244回(三位一体後第12主日)、
カンタータ「誉め称えよ、主を、栄光の力強い王を」(BWV 137);
オルガン:J. G. ヴァルター「同上」、大木真人。参加者11名。
10. 11 第245回(三位一体後第13主日)、
カンタータ「あなたにのみ、主イェス・キリストよ」(BWV 33);
オルガン:J. P. スウェーリンク「同上」、古屋敷由美子。参加者14名。
10. 18 第246回(三位一体後第16主日)、
カンタータ「キリスト、彼は私の命」(BWV 95);
オルガン:J. S. バッハ「同上」(BWV 1112)、石田一子。参加者18名。
バッハの森・クワイア(混声合唱)9. 20/16名、9. 27/11名、
10. 4/13名、10. 11/13名、10. 18/16名。
バッハの森・声楽アンサンブル 9. 20/10名、9. 27/8名、
10. 4/8名、10. 11/5名、10. 18/6名。
バッハの森・ハンドベルクワイア 9. 20/8名、9. 27/5名、
10. 4/7名、10. 11/5名、10. 18/6名。
教会音楽セミナー 9. 20/5名、9. 27/5名、10. 4/5名、
10. 11/7名、10. 18/6名。
宗教音楽セミナー 9. 19/7名、9. 26 /7名、10. 3/6名、
10. 10/5名、10. 17/7名。
ハンドベル入門 9. 17/6名、10.1 /5名、10. 15/6名。
オルガン音楽研究会 9. 17/5名、10. 15 /6名。
入門講座:聖書を読む 9. 17/7名、9. 24 /6名、10. 1/7名、
10. 8/7名、10. 15/8名。
パイプオルガン入門 8. 26/2名。
2名の方々から計9,500円のご寄付をいただきました。
26名の方々から計174,000円のご寄付をいただきました。