バッハの森通信 第102号 2009年1月20日発行

巻頭言

最後まで追い求めた

 出 会 い の 喜 び

 悲しいお知らせをいたします。

 石田一子が、12月30日午前8時35分に永眠いたしました。彼女は、私塾・バッハの森の共同主宰者、財団法人・筑波バッハの森文化財団の理事長、バッハの森のオルガニストでしたが、何よりも、私、石田友雄の妻であり、かけがえのない親友でした。

 一昨年11月に貧血を起こして精密検査をしたところ、盲腸から大腸に転移したガンと診断されました。12月16日のクリスマス・コンサートではオルガニストを務めましたが、その後で開かれた祝会には、出席する体力が残っていませんでした。

 12月25日に入院、4週間、安静にして治療を受けた結果、貧血は改善され、帰宅後は抗ガン剤の投与を受けに隔週の通院となりました。3月にバッハの森の活動に復帰し、6月末まで順調に回復しているように見えましたが、夏の暑さに体力を消耗したらしく、9月以降は身体の不調を訴えるようになりました。この間、2回の入退院を繰り返し、特に10月後半からは腹水が溜まりだしたため満足に食べられなくなり、常時痛みに悩まされ、急速に衰弱していきました。それでも、10月18日に「コラールとカンタータ」でオルガンを演奏、11月3日に境町コーラス教室の皆さんにオルガンを紹介、11月18日にオルガンのレッスン、11月21日にセミナーに出席しました。これらの活動が、公的な場でオルガンと関わった最後の機会になりました。痛みと衰弱が激しくなったため、在宅治療は限界と判断し、12月2日に筑波メディカルセンター病院・緩和ケア病棟に入院、その4週後、12月30日に亡くなりました。

 緩和ケア病棟に入院して受けた手厚い看護のお陰で、最初の2週間、一子は大分元気を取り戻しました。ただ、毎日通って彼女と共に数時間過ごした私には、彼女の体力が徐々に落ちていくことがはっきり見えていました。このような状況下でも、彼女は最後まで前向きでした。「来年は善い年になるわよ」と言って、新しい学習プランを練っていました。

 同時に、彼女は、入院して痛みに耐える毎日を、決して自分の殻に閉じこもることなく、代わる代わる治療と看護・介護に当たってくださる医師(4人)と看護士(22人)、皆さんとの交りを通じて、積極的に生きていました。看護する者とされる者の関係にとどまらず、人間同士として友だちになろうとしていたのです。ですから、彼女は、たちまち全員の姓名を覚え、一人一人名前で呼んでいました。ある看護士の方のお誕生日に贈ったカードには「貴女たち天使の皆さんと出会えたことは私の生涯の宝です」とありました。一生追い求めた出会いの喜びに、最後の日々も満たされていた彼女は、本当に幸せな人だったのです。(石田友雄)

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MEDITATIO/メディタツィオ/瞑想

 最も大切な贈り物はクリスマス

*このメディタツイオは「クリスマス・コンサート」(2008年12月13日)で朗読されました。

 本日の「バッハの森のクリスマス」は、3部構成の集いです。第1部はクリスマスの物語とキャロル、第2部は「降誕祭後の主日」をテーマとする教会音楽コンサート、第3部はティーパーティーです。

 このうち分かりにくいのが、第2部のテーマ「降誕祭後の主日」でしょう。これは、伝統的な教会の暦が定めた名称で、クリスマス、すなわち、降誕祭を12月25日から3日間祝った後、28日から31日までの4日のどれかの日が日曜日になるときにだけある主日です。当然毎年ある主日ではありません。

 古来、この日には、あと数日で終わる過ぎ去った年に、神様がくださった多くの恵みを思い出して感謝し、来年も同じような恵みを与えてくださるよう祈るのが習慣になっています。当然、健康や平和は大切な神の恵みです。しかし、もっと大切な恵みを忘れてはならないと「降誕祭後の主日」は教えます。健康や平和より大切な恵みとは何でしょうか? それは、祝い終わったばかりのクリスマスです。言うまでもなく、クリスマスは、イェス・キリストの誕生を祝う祭です。ですから、今年もまた、最も大切な贈り物として、神様はクリスマス、すなわち、イェス・キリストをくださった、という教えです。

「グローリア」の元歌

 ここで、降誕物語の一場面を思い出してください。イェス・キリストがベツレヘムの馬小屋で生まれた夜、郊外の野原で羊の番をしていた羊飼いたちに天使が現れ、救い主が誕生したことを知らせました。驚く羊飼いたちが天を仰いでいると、突然、天使の大軍が現れ、神を讃美して歌いました。

  栄光、いと高きところにいます神にあれ。
  地には平和、神のみこころに適う人々にあれ。

 この天使の歌は、ミサ通常文の「グローリア」になり、その後2000年間、教会で最もよく知られた讃美の歌として歌い継がれてきました。ところが、この間に、これが替え歌だったということは、すっかり忘れ去られてしまいました。実は、この天使の歌の元歌は、ローマ皇帝アウグストゥスを讃美する次のような歌でした。

  栄光、いと高き皇帝アウグストゥスにあれ。
  地には平和、彼に従う人々にあれ。

 「皇帝アウグストゥス」が「神」に、「彼に従う」が「神のみこころに適う」に変えられただけの、単純明快な替え歌だったということを知らされて、幻滅した方がいらっしゃるかもしれません。しかし、降誕物語が成立した歴史的状況を知ると、この替え歌は、本来牧歌的な雰囲気からほど遠い、強烈なメッセージが籠めらた歌だったことが分かるのです。

 イェス・キリストが生まれる直前、紀元前1世紀末に、アウグストゥスは、地中海地方全域にローマの覇権を確立して初代のローマ皇帝になりました。それから約200年間、地中海地方には、皇帝の支配下に、人類史上最も長期にわたる平和と繁栄の時代が続きました。「ローマの平和」、ラテン語で“パクス・ロマーナ”と呼ばれる時代です。この大帝国の平和と繁栄を維持するために、全ての権限を与えられたローマ皇帝は、「神」として礼拝されました。アウグストゥスを讃美する歌は、この皇帝礼拝の本質をよく表しています。

「ローマの平和」の否定

 このように、人々が平和と繁栄を謳歌し、皇帝を讃美していた時代に、「ローマの平和」に反旗をひるがえした人々がいました。ユダヤ人です。先祖を諸民族の中から選んだ唯一の神と交わした約束に忠実だったユダヤ人は、どうしても皇帝礼拝を受け入れることができませんでした。彼らは、紀元1世紀末と2世紀初めに2度にわたってローマ人の支配に対して大反乱を起こしましたが、結局、鎮圧され、祖国ユダヤから追放されてしまいました。その結果、その後2000年間、ユダヤ人は世界をさまよう流浪の民になったのです。

 ユダヤ人とは別に、「ローマの平和」を否定した人々がいました。初めはユダヤ人の分派だったキリスト教徒です。彼らも「ローマの平和」を象徴する皇帝礼拝を拒否したため、邪教徒として厳しい迫害を受けました。しかし、彼らはユダヤ人のように武力による抵抗はしませんでした。ナザレのイェスの生き方と死に方に従って、ローマ帝国とは別の次元の「神の国」の存在を信じていたからです。

 「ローマの平和」とは、経済的繁栄を第一の目的とし、それを守り、維持する秩序のことでした。これは、少数の強い者たちが多数の弱い人々を支配することによって成り立つ秩序であり、この秩序の下で経済的繁栄を享受する人々は、少数の支配層だけでした。このような生き方に、ナザレのイェスは真っ向から対立しました。彼は、人間が生きる目的は、他人を犠牲にして経済的繁栄を追求することではなく、他人の命を生かすために自分の命を燃やすことだと教え、この教えを実行したあげく、十字架で処刑されて果てました。

「神の国の平和」を求めて

 このナザレのイェスを神とする初代キリスト教徒が、「皇帝アウグストゥス」に代えて「神」、「皇帝に従う人々」に代えて「神のみこころに適う人々」を入れた替え歌を作ったのです。ですから、イェス・キリストが誕生したとき、「栄光、いと高きところにいます神にあれ。地には平和、神のみこころに適う人々にあれ」と天使の大軍が合唱した歌は、「ローマの平和」を否定し、「神の国の平和」を追求することが、人間が幸福になるための本当の生き方だという信仰の宣言に他なりません。初代キリスト教徒は、「ローマの平和」のまっただ中で、迫害を覚悟して、この歌を歌ったのです。

 4世紀に、ローマ帝国はキリスト教を公認し、キリスト教はやがてローマの国教になりました。そうすると、皮肉なことに、教会は、しばしば「神の国の平和」ではなく「ローマの平和」を追求する過ちを犯すようになりました。ユダヤ人の迫害や十字軍はその象徴的な事件です。しかし、教会だけを責めようとは思いません。「ローマの平和」の追求は、人間の本性に根ざす欲求であり、私たち自身、気づいてみれば、常に追い求めている「平和」なのですから。しかし同時に、この2000年間、人々は「神の国の平和」を全く忘れてしまったわけではありません。その証拠にクリスマスを祝い続けてきました。「ローマの平和」の追求が、人間の破滅に行き着くのではないか、という疑念を心の片隅から拭い去ることができなかったからでしょう。

 私たちも、今、天使の大軍と一緒に、「ローマの平和」に代えて「神の国の平和」を讃美する歌を歌ってみませんか。そうすれば、クリスマスが最も大切な贈り物だということが分かるかもしれません。(石田友雄)

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LETTER/レター/たより

               2008年12月22日
           シュヴェリン大聖堂聖歌隊

一子さん、友雄さん、皆さん

 クリスマスのシュヴェリンから、皆さんに心からご挨拶と新年の賀詞をお送りします。仕事のとりこになっていても、私たちはよく皆さんのことを思い出します。一子さんはいがですか? メグミと赤ちゃんはお元気ですか? 赤ちゃんお誕生のお知らせをとても嬉しくうかがいました。クワイアはどうしていますか? 

 私たちは元気です。マインデルトは学校、ヤンは教会音楽で、とても忙しくしています。宗教改革記念日(注:10月31日)には、ルターのコラール:「我らの神は堅き砦」と「主よ、み言葉の許に我らを保ちたまえ」によるバッハのカンタータ2曲(注:BWV 80, 126)を演奏しました。私にとって、バッハのカンタータは、いつでも皆さんと結びついています。皆さんがバッハの音楽を学び、演奏する真剣な姿に感心しているからです。

 降誕祭の祝日には、6回の礼拝でクリスマス・オラトリオを演奏します。市の全教会の聖歌隊と学生の合唱団が演奏に参加します。シュヴェリン全市のプロジェクトです。説教、聖書朗読、コラール斉唱と共に、礼拝の流れの中に組み込む本来の形で、オラトリオが演奏されるのです。

 12月初めに、私は全く別のプロジェクトに没頭していました。オリヴィエ・メシアン生誕100年を記念して、彼のオルガン曲、クリスマス・チクルス「ナティヴィテ(降誕)」を演奏しました。シュヴェリン大聖堂のロマンティック・オルガンで、雰囲気を十分に出して弾きました。でも、大聖堂はもう結構寒かったです(摂氏4度)。

 バッハの森では今頃歌声と音楽が響いているのでしょうか。多分、クリスマスのプログラムを演奏していることと思います。皆さんにいつも音楽の喜びがあることを願い、旧い友情をもって心からご挨拶を送ります。

皆さんのヤン・エルンストとマインデルト・ツヴァルト

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日 誌(2008.10.19 - 12. 31)

(10. 17 運営委員会 参加者5名)。
10. 30 来訪 エイナット・バルオン・コーヘン氏(イスラエルの人類学者)。
11. 3 来訪 境町コーラス教室 来訪者19名、バッハの森より3名。
11. 4 来訪 高山文彦氏(ドキュメンタリー作家)、鈴木崇之氏と佐藤修氏(講談社)。
11. 14 運営委員会 参加者5名。
12. 2 入院 石田一子氏、筑波メディカルセンター病院緩和ケア病棟へ。
12. 6 アドヴェント・コンサート オルガン:ロレンツォ・ギエルミ氏
(ミラノ・聖シンブリチアーノ教会オルガニスト)、参加者64名。
12. 12 運営委員会 参加者4名。
12. 13 バッハの森のクリスマス 参加者46名。
12. 30 死去 石田一子氏。
12. 31 石田一子を送る集い 参加者35名。

J. S. バッハの音楽鑑賞シリーズ
「コラールとカンタータ」(JSB)

10. 25 第247回(三位一体後第17主日)、
カンタータ「あぁ、愛するキリスト者たちよ、落ち着け」(BWV 114);
オルガン:J. パッヘルベル「主、我らと共にいましたまわずば」、當眞容子。
参加者10名。

11. 1 第248回(三位一体後第20主日)、
カンタータ「装え、おぉ、愛する魂よ」(BWV 180);
オルガン:J. G. ヴァルター「同上」、横田博子。
参加者11名。

11. 8 第249回(三位一体後第21主日)、
カンタータ「深い悩みより私はあなたに叫ぶ」(BWV 38);
オルガン:J. S. バッハ「同上」(BWV 687)、古屋敷由美子。
参加者14名。

11. 15 第250回(三位一体後第22主日)、
カンタータ「備えよ、私の魂よ」(BWV 115);
オルガン:J. G. ヴァルター「同上」、金谷尚美。
参加者18名。

11. 22 第251回(三位一体後第27主日)、
カンタータ「目覚めよ、と見張りたちの声が私たちを呼ぶ」(BWV 140);
オルガン:J. G. ヴァルター「同上」、住田眞里子。
参加者15名。

11. 29 第252回(アドヴェント第1主日)
カンタータ「いざ来たりたまえ、異邦人の救い主よ」(BWV 62);
オルガン:D. ブクステフーデ「同上」(BuxWV 211)、安西文子。
参加者17名。

学習コース

バッハの森・クワイア(混声合唱)10. 25/9名、11. 1 /16名、
11. 8/14名、11. 15  /10名、11. 22/17名、11. 29/17名、
12. 6/20名(ゲネプロ)。

バッハの森・声楽アンサンブル 10. 25/5名、11. 1/ 6名、11. 8/7名、
11. 15/7  名、11. 22/4名、11. 29/7名。

バッハの森・ハンドベルクワイア 11. 1/ 6名、11. 8/7名、
11. 15/7名、11. 22/6名、11. 29/6名。

教会音楽セミナー 11. 1/7名、11. 8/7名、11. 15/8名、11. 22/8名、
11. 29/8名。

宗教音楽セミナー 10. 24/6名、10. 31/6名、11. 7/6名、11. 14/9名、
11. 21/7名、11. 28/5名。

ハンドベル入門 10. 29/5名、11.12 /7名、11. 26/6名、12. 3/5名。

オルガン音楽研究会 10. 29/5名、11. 12 /7名。

入門講座:聖書を読む 10. 29/5名、11. 5/6名、11. 12 /4名、
11. 19/5名、11. 26/6名。

オルガン教室 10. 23/2名、11. 6/2名、11. 10/2名、11. 18/2名。

寄付者芳名(敬称略日付順)(2008.10.1 - 12.31)

3名の方々と1団体から計44,000円のご寄付をいただきました。

建物修繕費用積立会計

26名の方々から計227,000円のご寄付をいただきました。

石田一子を記念する集い

と き:2009年3月22日(日)午後3時
ところ;バッハの森記念奏楽堂

* 次号の「バッハの森通信」(2009年4月20日発行)を「石田一子・記念号」にいたします。個人的な思い出など、石田一子に関する皆様のご寄稿をお待ちします。23字x 30行〜40行を目安に、3月末日までにバッハの森事務局宛に原稿をお送りください。メールでもファックスでも結構です。