バッハの森通信第69号 2000年10月20日 発行


巻頭言 「みんなで歌を歌おう」

民衆の魂の歌、コラールを歌う快感

 皆さん、歌を歌っていますか。今、わたしが問題にしている「歌」とは、鼻歌でもカラオケでも独唱でも合唱でもありません。われを忘れて心の底からみんなで歌う歌のことです。
 10年ほど前に、ベルリンの壁の崩壊をきっかけに、東欧諸国で次々に民衆が蜂起して、戦後40年間支配してきたソ連の傀儡政権を打倒しました。この事件を伝えるテレビは、広場に集まった何十万という群衆を映し出しましたが、しばしばこの大群衆が声を合わせて歌を歌っていた光景を忘れることができません。知らない歌ばかりでしたが、明らかにそれはその民族の魂の歌でした。
 歴史の変わり目に、われを忘れて心の底からみんなで歌うような魂の歌が、昨日今日作られた歌でないことは確かです。何百年も歌い継がれ、民衆の魂の奥深くに定着した歌であるに違いありません。



 それにしても、仮に革命が起きたとき、わたしたち日本人はどんな歌を歌うのでしょうか。いろいろ考えてみたのですが、何も心に浮かんできませんでした。民族の魂の歌を失っている、残念ながら、これが日本人の現状ではないでしょうか。
 では、どうしたら、わたしたちは魂の歌を持つことができるでしょうか。簡単な答えがあるとは思えません。ただ他民族の魂の歌を歌ってみれば、民族の魂の歌とはこんなものか、ということを学ぶことはできるはずです。
 わたしが知っている民族の魂の歌は、ドイツ・コラールです。コラールは、500年前に、宗教改革者マルティン・ルターが民衆に歌わせるために作り出してから200年間、バッハの時代までに約5000曲作られ、それ以来、ドイツ人民衆の魂の歌として歌い継がれて今日至りました。しかも、民衆が愛唱するコラールに基づいて、合唱曲、オルガン曲などの名曲を多数作曲した大作曲家、J.S. バッハの作曲活動により、ドイツ・コラールは、世界の人々の魂の歌になりました。



 長くて暑い夏もようやく終わり、秋のシーズンの開始と共に、バッハの森では、コラールを歌うための新しいプログラムが始まりました。毎週土曜日午後6時〜7時に開かれる、一般公開のプログラム、「教養音楽シリーズ:J. S. バッハの宗教音楽 ー オルガンとコラールとカンタータ」です。
これは、一曲のコラールを巡る、コラール斉唱、オルガン演奏、カンタータ鑑賞(CD)による60分のプログラムですが、一番大切な目的は、コラールを全員で斉唱することですから、参加者全員がオルガン伴奏により、声を合わせて歌います。また歌う前にコラールの訳詞を朗読します。
 それでも、ルターの500年後、バッハの300年後、ドイツとは全く違う文化的伝統と環境の現代日本で、コラールを歌い、コラールに基づくバッハの宗教曲、教会カンタータを鑑賞することは、確かに易しいことではありません。毎週、コラールの訳詞とカンタータの対訳を作成していますが、初めて参加した一人の方から、コラールの歌詞もカンタータの対訳も、何を意味しているのかさっぱり分からないと、正直に言われて愕然としました。



 でも考えてみると、これは当然のことです。コラールもカンタータも、日本人にとっては全く異文化であるキリスト教の音楽ですから、そもそもその考え方を学ばなければ分かるはずがないからです。そのために、バッハの森ではいろいろな学習プログラムを開いてきました。
 しかし、歌詞の学習が先だとは思いません。500年も歌い継がれてきた民衆の魂の歌には、たとえ歌詞の意味がよく分からなくても、歌っているうちに伝わってくる感動があるからです。まず一緒にコラールを歌ってみませんか。きっと他では経験することができない快感を覚えることができるでしょう。

(石田友雄)


報告

 バッハの森は「学校のような」ところです。学校と違うのは、入学試験も期末試験もないことでしょうか。だから入学式も卒業式もありません。しかし、世間一般のカルチャーセンターとも違って、研究会、セミナー、音楽教室、公開講座など、すべてのプログラムは、統一されたカリキュラムで構成されています。ただし、どれを選択するかは参加者各自の自由です。

 学校と似ているもう一つの点は、毎年、新しく参加する方々がいることです。この1年間に、新たにバッハの森に参加した皆さんのなかから、3人の方々に、フレッシュな視点から、バッハの森の最近の様子を伝えていただきました。


再会の喜び  わたしは、8年前にハンドベル・リンガーズに参加していましたが、結婚と転居のため、あれ以来、バッハの森にご無沙汰しておりました。去年、つくばに戻って来て、2月に新しいハンドベルの講座が開かれることを知り、どきどきしながらバッハの森を訪ねると、一子先生が8年前と変わらない笑顔で、バッハの森の木のぬくもりと共に迎えてくださいました。
 わたしがハンドベルに惹かれる理由を改めて考えますと、美しい音色もさることながら、ひとりひとりが複数の音を担当し、その繋がりで曲を作り上げるという、他の楽器にはない演奏方法にあるように思われます。それにバッハの森では、一般のハンドベル演奏グループとは違って、指揮者を置きません。全員の呼吸で音を合わせるという高度(?)な形をとっているので、難しいけれど、音が合ったときの快感といったら他にたとえようがありません。
 演奏する曲は様々ですが、大抵ヨーロッパの、それも昔の音楽ですから、わたしにとっては、しばしばバッハの森で初めて聴く旋律です。それでも、何度も聴いたり歌ったりしているうちに、(ハンドベルの講座ですが、必ず歌います)、それまで知らなかった旋律が大変心地よく耳になじんでくるのは不思議な経験です。帰宅すれば、鼻歌や子守歌になっています。このような長く歌い継がれてきた曲には、他の文化圏の者の心にも訴える深い響きがあることを実感しています。
 ただベルを振って鳴らすだけなら、必ずしもその旋律についている歌詞を知らなくてもいいかもしれませんが、曲が作られた背景まで考えると、メロディーと歌詞を切り離すことができません。実際、歌詞を意識するとしないとでは、音楽の雰囲気が違うことがわかってきました。気持ちで歌いながらベルを振る、それがわたしの課題です。この先、どんな曲との出会いがあるのか、とても楽しみです。
 自分の時間を持つのは、子育てが一段落してからと思っていたのですが、思い切って参加してみて、週に一度、バッハの森で過ごす時間はかけがいのない貴重なものになりました。バッハの森での充電が、必ずしも家庭に還元できていないのではないかと反省していますが、応援、協力してくれる家族に感謝しながら、バッハの森を通じて自分の世界を広げていきたいと願っております。
 これまで主婦業に没頭して学ぶことを半ば放棄していましたが、「何か始めるのに遅すぎることはない」と、いつか一子先生からうかがった言葉を信じて、これからも知ることに貪欲でありたいと思っています。ミレニアムにバッハの森と再会できたこと、それはわたしにとって喜ぶべき大きな出来事になりました。
(つくば市 遠島佳世)
「こころ」の大切さ  今年4月のある日、「ハンドベル・リンガーズ募集」というお知らせが目に飛び込んできました。中学生のときにテレビで初めて見て魅せられて以来憧れてきたハンドベルなのですが、引っ込み思案のわたしには出会いのないまま、30年が過ぎてしまいました。そんなわたしの前にハンドベルの扉が開かれ、夢のような出会いが本当にやってきたのです。それも「バッハの森」という素敵な名前の場所で。
 今年がバッハ没後250年の記念の年だということも知らなければ、バッハについても教会音楽についても何も知らないまま飛び込んでしまったのですが、素晴らしい響のする奏楽堂でハンドベルの音を聴いたときは、心から感動して、涙が出る思いでした。しかし、夢に見たハンドベルですが、実際に手にして鳴らしてみると、なかなか自分の納得する音を出すことはできません。それでも、「始めて間もないのに、なかなか上手よ」と一子先生に誉めていただくと、とても楽しくなって、毎回毎回の練習がとても楽しみです。また、これまでの勉強不足を反省して、バッハに関する本や、音楽史の本なども読み、ハンドベルを通して学ぶ音楽を少しでも深く理解できるよう努力するようになりました。 去る6月25日に開かれた公開講座「サンクトゥス」で、教会音楽コンサートの始めと終わりに鳴らすハンドベルの点鐘に参加させていただきました。友雄先生のレクチャーでは、今まで自分なりに勉強したことと、ハンドベルの時間にお話ししていただいたことが、一つの線で結びついたように感じました。まだまだ分からないことばかりですが、何だか目の前に光が見えたように思いました。
 バッハの森では、新しい世界に飛び込んで「こころ」の大切さを教えていただきました。ハンドベルも楽譜通りに鳴らせばいいと言うのではなく、心の表現なんだということ、曲を作るメンバーと心を一つにすることなど、少し分かってきたような気がします。ハンドベルをしているときは、いつも緊張していますが、心地よい緊張感です。自分の心からの音を出せるように、これからも勉強していきたいと思っています。
(守谷町 熊倉由美穂)
元気をもらって学ぶ楽しさ  長い間、ピアノに関わってきました。ベートーベンもショパンも、もちろん、素敵でした。でも、これらのピアノ曲を歌わせるために、多くの時間をかけて指の訓練をし、練習をしたにもかかわらず、なかなか歌うまでにはいかないもどかしさや、悲しさをずっと感じていました。そんな中で、バッハは自分なりに納得する瞬間がある音楽でした。これをオルガンやチェンバロで弾くと、一体どんな響きがするのだろうか、讃美歌をオルガンで弾いたらどんなに素敵だろうかと思っていました。
 昨年、夫の転勤でつくばへ。母親業も卒業し、仕事にも区切りをつけて、ぽっかり空いた時間に飛び込んできたのが、バッハの森のパイプオルガンでした。何という幸運な巡り合わせでしょうか。好きなことをさせてくれる夫に感謝しつつ、バッハの森に通い始めました。
 バッハの森でオルガンを弾くためには、まず歌があります。そして鍵盤は、優しくソフトに押します。ピアノのように頑張って打たなくてもよいのです。でも、そこから出る音は、優しく温かいだけではなく、力強いのです。わたしの力のなさを様々な音が包み込んで助け、音楽の喜びにまで押し上げてくれます。
 コラールの旋律を歌い、対旋律を理解し分析して考え、その上で、同時に聴こえる三声や四声による和声の響きを味わいながらオルガンを弾いているときは、本当に楽しく時間を忘れます。同時に、コラールには歌詞がありますから、それを歌うためには、言葉を学ばなければなりません。研究会やセミナーで、ドイツ語やラテン語の歌詞を勉強し、その背景である教会音楽や聖書を学び、さらにその背景であるキリスト教やユダヤ人の歴史について語られますが、これらの学びがすべてオルガンを弾くという一点に集まってくるのです。
 いろいろな音楽がある中で、コラールを歌いコラールを弾くという、これほど魅力的な音楽分野があったことを初めて知りました。友雄先生と一子先生が、このような方向を示してくださるだけではなく、いつも物事を深く理解するように指導してくださる姿勢には尊敬の念を覚えます。
 バッハの森には、学ぶ楽しさと学びたくなる雰囲気が満ちています。それがコラールのような素晴らしい音楽に結びついているのですから、惹きつけられるのも当然なのです。セミナーでは語学力の不足、知識のなさにおろおろしていますが、新しいことを覚える喜びのために恥をしのんで出席させていただています。学び始めるのはいつからでもよい、知らないことは覚えていけばいい、と考えています。バッハの森から元気をもらって、与えられたこの良き時間を充実して過ごしたいと思っております。
(つくば市 西澤節子)


ORBITUARY/訃報

 去る8月17日に、深津文雄氏が館山市にある婦人保護コロニー、かにた婦人の村で逝去されました。90歳でした。同氏は創立時から、バッハの森の財団法人評議員として、わたしたちの活動を応援してくださいましたが、創立の年、1985年11月には、バッハの森で、「人間バッハを考える」と題して、バッハ生誕300年の記念特別講演をしてくださいました。
深津さんとバッハの森の関わりは、今から50年前、19歳、大学2年生のわたしが、深津さんと出会ったときに遡ります。それから10年間に、わたしは深津さんから聖書学、バッハの教会カンタータや受難曲、(バッハが奉仕していた)ドイツ福音主義教会の典礼と教会暦、深津訳によるコラールなどを学びました。また30歳でイスラエルに留学するまでの5年間、深津さんが大泉に設立した婦人保護施設で働き、共同体形成を目指す生き方も学びました。このとき学んだことが、すべて、現在、バッハの森の活動の土台になっています。
 深津さんは最後まで牧師でしたが、既成の教会に飽きたらず、その枠を越えて活動なさった方でした。ですから、バッハの森がキリスト教文化を学ぶ場であっても、教会にはならないという方針を理解してくださいました。
 逝去3日後の8月20日の日曜日に、かにた婦人の村の礼拝堂で告別礼拝が行われました。深津さんは、かねてから、かにたで死亡した婦人たちを葬るための礼拝式順序を作成なさっていました。それは、深津訳のコラールの他にラテン語の「レクイエム」を含む、非常に簡素な典礼でした。参列者の半分は村人の婦人たちで、中には「おじいちゃん、何で死んじゃったの」と、お棺に取りすがって大声で泣き出す人たちもいました。かにたの他に行き場のないこれらの婦人たちは、やがてこの礼拝堂の祭壇の下の納骨堂に、深津さんと一緒に葬られるのでしょう。そこには、深津さんが「底辺」と呼んだ人たちと創り上げた、不思議な共同体がありました。出棺直後のがらんとした礼拝堂には、ロ短調ミサ冒頭の「キリエ」が響きわたっていました。(石田友雄)


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