バッハの森通信第70号 2001年01月20日 発行


巻頭言 「音楽をしよう」

心を通じ合える楽しさを求めて

喜んでおどった胎内の子
 去年の秋、バッハの森に集まる皆さんの雑談の話題は、もっぱら「赤ちゃん」でした。何しろ、3人のアクティヴ・メンバーが、次々と出産予定日を発表したからです。  丁度、クリスマス・コンサートのリハーサルをしている時期で、「マリアの讃歌」(マニフィカト)も歌っていました。そこで、この歌と関連して、マリアの訪問を受けたエリサベトが、「ご挨拶の声を聞いたとき、わたしの胎内の子は喜んでおどりました」と言ったというエピソードを、母親準備中の3人は実感したようです。
   この3人はオルガン教室も受講していたので、最初のうちは気分がすぐれず休みがちになりましたが、やがて日に日に大きくなるお腹をかかえて、いつも通り、元気にオルガンの練習に通って来るようになりました。そのうち、鍵盤にお腹がつっかえ出したという話も聞かされましたが、何と言っても、オルガンを弾き出すとお腹の子が動き出すという報告は感動的でした。
 「間違えると蹴飛ばすの」という冗談も愉快でしたが、まさにエリサベトの言葉通り、バッハの森のオルガンの美しい響きを聴いた胎内の子が、喜んでおどったのに違いありません。母と子の間で、音楽を通して素晴らしいコミュニケーションが始まったのです。

楽しんだ喜び
 12月23日の午後、バッハの森で開いた「子供クリスマス」は、例年通り2、30人の参加者を予想していたところ、予想に反して100人も集まる満員札止めの盛況になりました。しかも、バッハの森のプログラムは、世の中一般のクリスマスとは大分違っていて、「きよしこの夜」以外は、集まった子供たちが初めて聴くような音楽ばかりでしたし、手作りのスライドによる朗読劇も、いわゆる子供向けの内容ではありませんでした。
 そこで、開会の挨拶をしたとき、わたしは、この状況では、途中で子供たちが騒ぎ出したり、会場から出ていっても仕方ないと観念しました。小中学校の学級崩壊の話を散々聞かされていたからです。ところが、驚いたことに、むずかる幼児を連れ出す親が数人いただけで、1時間の予定が30分も延びたプログラムの間、子供たちは終わりまで静かにしていてくれました。
 それでも、無事終了したとき、実はわたしは少々懐疑的でした。行儀がいい子供たちだけれど、本当に何か分かっておとなしくしていたのかなと、思っていたからです。すると、みんなが席を立ってぞろぞろ出口に向かい出したとき、一人の少年がやって来て、「今度はいつやるの」と尋ねるではありませんか。全く予期していなかった質問を受けて、一瞬、わたしは返事に詰まってしまいましたが、直ぐ、この少年がわたしたちのプログラムを楽しんだ喜びを伝えてくれたのだと悟り、本当に嬉しくなりました。


 今、世の中では、ITという新しい情報伝達手段を語ることが流行していますが、どうもITで人間の相互理解が深くなるという誤解があるようです。しかし、ITはあくまでも伝達手段であって、相互理解とは本質的に別の問題です。どうすれば他人に自分の思いを伝え、他人の思いを理解することができるか、言い換えれば、どうすれば互いに心を通じ合えるかという問題は、わたしたち人間の永遠の課題なのです。
 ただ、先に紹介した二つのエピソードには、わたしたちが心を通じ合えるようになるための原点があると思います。まず母親が練習するオルガンの音を聴いて胎児がおどったとき、母親と胎児は、「愛と信頼」の喜びで結ばれていたといえます。次に「子供クリスマス」が終わったとき、「今度はいつやるの」と質問した小学生は、相手を「理解」できてうれしかったのです。
 「愛と信頼で結ばれる喜び」と「理解する喜び」。これは、音楽を通して、心を通じ合える楽しさを求めて活動している、バッハの森の目標にほかなりません。このような活動に、あなたも参加なさいませんか。

(石田友雄)



報告

 12月17日に、バッハの森で開かれたクリスマス・コンサートでは、次のようなメディタツィオ(瞑想)が朗読され、また参加者からは嬉しい感想が寄せられました。


心温まる楽しさで (In dulci jubilo)
 今年は20世紀最後の年なので、世界中で、2000年紀、すなわち、第2ミレニアムが終わる年として、特に年号が話題になりました。日本でも、今年は西暦2000年、来年からは21世紀というキャッチフレーズが、盛んに使われました。しかし、「西暦」という暦の名称が、本来、ラテン語Anno Dominiの翻訳であることは、余り知られていないようです。A.D. と略すAnno Dominiは、「主の年で」という意味です。「主」とはイェス・キリストを指しますから、「主の年で」とは、イェス・キリストが誕生してから、何年たったという意味です。当然、そこには、「西洋の暦」を短縮した「西暦」という名称では表せない、特別な思いが込められています。

 Anno Dominiで年号を数える人たちには、 今年、イェス・キリストの誕生を祝うクリスマスで、なんと彼は2000歳になった、という特別の感慨があるのです。これは、西暦2000年と言っていたのでは分からない深い思い入れです。しかし、今やクリスマスは、暦をAnno Dominiと呼ばない人たちも含め、世界中で広くお祝いされるようになりました。なぜでしょうか。

 もちろん、日本でもクリスマスをお祝いします。しかし、西暦は使うがAnno Domini には無関心な日本人のクリスマスでは、主役はイェス・キリストではなく、サンタクロースになりました。クリスマス・イヴの夜に、トナカイが曳くそりに乗って、赤い帽子とマントを着た白いひげのおじいさんが、空から屋根に降り、煙突を通って部屋に入って来ると、眠っている子供たちの枕元にプレゼントを置いていく、というメルヒェンを知らない人はいません。そして、このメルヒェンを本当のことだと信じこんだ世界中の子供たちは、イヴの夜、わくわくしながら眠りにつきます。心温まる楽しいお話ではありませんか。

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 心温まる楽しさ、それがクリスマスの特徴です。だから、Anno Domini で年号を数えない人たちを含め、世界中で広くお祝いされるようになったのでしょう。しかし、この心温まる楽しさは、どこから始まったのでしょうか。まずサンタクロースについては、のちに子供の守護聖人になった、4世紀、ミラノの大司教ニコラスが、貧しい子供たちに、食べるものや着るものを配って回ったのが、伝説の始まりだと言われています。心温まるお話です。

 次にクリスマスの本当の主役、イェス・キリストですが、日本では、イェス・キリスト誕生のいきさつを伝える降誕物語は、サンタクロースのメルヒェンほど知られていないようです。しかし、ここでは、降誕物語を繰り返しません。ただ、Anno Domini、すなわち「主の年で」年号を数え始めた人たちにとって、イェス・キリストの降誕は、丁度、サンタクロースからプレゼントをもらった子供たちのように、天から降ってきたプレゼントだった、ということだけを申し上げておきましょう。

 聖霊によってみごもった処女マリアがイェスを生んだ、という降誕物語も、世の初めから神と共にあった言葉が人間になったのがキリストだ、という哲学的・神学的説明も、要するに、イェス・キリストという人を通して知った、心温まる楽しさは、天から降ってきたプレゼントだった、という思いの表現に他なりません。この思いこそ、2000年間、これほど広く世界中の人たちがクリスマスをお祝いするようになった本当の理由なのです。

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 さて、わたしたち現代人は、昔の人たちほど素朴に、神様がいる天が存在するとは考えられなくなりました。だんだん大きくなると、本当はサンタクロースなんていないんだ、と子供たちが考え出すのと似ています。確かに、昔の人たちが描いた神話の世界の「天」は、今や単に頭上に広がる「空(そら)」、すなわち「空(くう)」になってしまいましたし、メルヒェンの世界が、現実と違うことも認めざるをえません。

 それにもかかわらず、わたしたちは、昔の人たちや幼い子供たちと同様に、「心温まる楽しさ」を追い求めています。いや、「心温まる楽しさ」がなければ、人間として生きてゆけないと感じています。

 「心温まる楽しさで」ということを、ラテン語で“Indulci jubilo”と言います。“In dulci jubilo”を追い求める人たちが、2000年間、歌い継いできたクリスマスの歌を歌うために、わたしたちは、今日、ここに集まりました。こうして、クリスマスの歌を一緒に歌うわたしたちに、「心温まる楽しさ」が、天からのプレゼントとして降っ てくることを、心から願っております。
(石田友雄)



贈られた心静かな思い
バッハの森を訪ねると、いつもいろいろな素晴らしい贈り物をいただきます。いつかは、こんなに星が輝いていたかと、あらためて空を見上げましたし、オルガンの音色に感動し、合唱の歌声に誘われて喜びのうちに声を合わせたこともあります。今回は20世紀が残り僅かになったと、せかせるような世の中の騒ぎとは別に、イェス・キリストが2000歳になった「主の年」を考え、心静かに落ち着いた思いになることができました。大きな物語は長い時の流れを教えてくれます。
(吉原実智子)

気持ちが和んだコンサート
 今年で3回目になるバッハの森のクリスマス・コンサートですが、こんなに気持ちが和んだのは初めてです。「マニフィカト」は、詩の語りのような朗唱とオルガンの演奏で、聴いている者が問いかけられているような思いにさせられ、1年の様々なことが思い返されました。2000年が「主の年」であるお話は意味深く、バッハの森に通うようになってから、少しずつですが、広い視点からものを見るようになってきたこと感じました。最後の点鐘はいつまでも余韻が残り、幸福な気持ちにさせてくれました。今年のコンサートは時間的には決して長くないのに、まるでお腹一杯のご馳走をいただいた気分になりました。
(松本由香利)

満ちあふれた静かな喜び
 (最近まで、ヴォランティアとして、バッハの森の運営事務に直接携わっていたので)、初めて聴衆として、バッハの森のクリスマス・コンサートに参加しました。オルガン、歌、メディタツィオへと続くプログラムの流れに、クリスマスの静かな喜びが満ちあふれているような気がしました。そして、その中に包まれていることに深い感動を覚えました。まさに“In dulci jubilo”(心温まる喜びで)に溢れたクリスマスのひとときを過ごすことができて、とても嬉しかったです。最高のクリスマス・プレゼントをいただきました。
(横田博子)

今年一番素敵なクリスマス
 昨日は素敵なクリスマス・コンサート、ありがとうございました。わたしにとって今年一番のクリスマスをさせていただきました。特に、300年前のバッハの当時を想わせるような、オルガンとコーラスの交唱による「マニフィカト」には、バッハの森の面目躍如の感を深くいたしました。
(菅野和子)

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