バッハの森通信第71号 2001年04月20日 発行


巻頭言 「日本人なのになぜバッハを歌うのか?」

独自な音楽造り
  10年来、毎年ドイツから来て、バッハの森で一緒に音楽をしてくれる、ヤン・エルンストさんのオルガンとマインデルト・ツヴァルトさんのカウンターテナーのデュオ・リサイタルを、バッハの森で収録したCDを製作したところ、『レコード芸術』7月号の新譜月評欄で大変誉めていただきしました(『バッハの森通信』第68号)。去年のことです。この論評を読んで嬉しかったのは、バッハの森が追求する「独自」な音楽造りが「普遍性」のある支持を受けたことです。

 ところで、最近、このCDを贈ったドイツ人の友人から、次のような手紙をもらいました。「素晴らしいCD、ありがとう。このようなCDを製作するために、あなた方がどれほどの労力と時間をかけたのか、ただ息を呑むばかりです。しかし同時に考えたのですが、いつになったら日本から日本独自の音楽が生じるのでしょうか」

 彼女は60歳のジュエリーデザイナー。スイスとの国境に近い風光明媚な地方都市に住み、アマチュア合唱団でバッハを歌い、優雅に暮らしている人です。日本には一度も来たことがありません。数年前に禅の瞑想ミーティングに参加したと言ってきました。教養ある平均的なドイツ人の一人と言えるでしょう。

 さて、この彼女の手紙は「バッハはドイツの音楽。何で日本人が歌うのか」と言っているように聞こえます。これに対して、「貴女のイメージする日本はヨーロッパ人の誤ったエグゾティシズムだ」と反論するのは容易なことですが、それにしても「独自の音楽」とは何なのか、考えさせられました。

 バッハの音楽は、音楽それ自体難しい上、私たち日本人には、そのドイツ語の歌詞を発音することも、意味を理解することも決して易しくありません。それに、いくら苦労してみても、到底、ドイツ人のように歌えるわけではありません。それでも、バッハを歌うことに、バッハの森に集まるわたしたちは、他では味わうことができない感動を覚えています。これは、バッハの音楽という、比類のない「独自な音楽」が、同時に民族的な文化の枠を超えた偉大な普遍性を持っている証拠です。

 このような経験を通して、バッハの森でわたしたちは、「独自な音楽」造りを目指してきました。確かにヤンとマインデルトは、ヨーロッパで活動している音楽家です。しかし10年来、バッハの森でわたしたちと一緒に音楽をしながら培ってきた「独自」の共感がなかったら、このCDはできなかったでしょう。今年の5月も彼らを迎えて、バッハの森の「独自」なワークショップとコンサートを開きます。

ラドゥレスクさんと話し合った3日間
 去る3月18日から20日まで3日間、ミヒャエル・ラドゥレスクさんがバッハの森に逗留なさいました。バッハの森クワイアの指揮者、和田純子さんがウィーンで師事した著名なオルガニストです。昼食は食べない習慣とうかがい、朝食と夕食を一子の手料理でご一緒しましたが、その都度、会話が盛り上がり、時間がたつのを忘れてしまうほどでした。

 当然、音楽に関連する話題が多かったのですが、バルカン半島や中東の情勢、宗教、文化の諸問題についても議論しました。広い興味と価値判断がしばしば一致したため、3日目には、「昔から知り合っていた友人みたいですね」とおっしゃってくださいました。

 たとえば、彼が主宰するポラントリュイのバッハ・アカデミーが、“民主的”な委員会で運営される組織ではない“私塾”である点、バッハの森と似ているということになりました。“私塾”でなければ、個人の信念に従う教育はできないというのです。オルガニストにバッハのカンタータを歌わせる教育法も同じなら、神の怒りを語らず、愛ばかり強調する現代の教会の教えでは、バッハの音楽は分からないという点でも同感しました。またバッハの森で作成してきた邦訳コラールのプリントを見せると、「日本人オルガニストのための貴重な資料になりますね」と評価してくださいました。

 バッハの森の独自性が、同時に普遍性を持っていることを確認させていただいた、楽しい3日間でした。

(石田友雄)



REPORT/リポート/報告

 3月20日の午後、ミヒャエル・ラドゥレスク氏を迎えて、J. S. バッハの『オルガン小曲集』より7曲の受難節のコラールを巡る「レクチャ− & オルガン」の会を開きました。ドイツ語の講演は和田純子さんが通訳してく ださいました。
 非常に示唆に富んだ講演と、語ったことをすぐそのまま音楽で表現するオルガンの演奏に、参加者はみな深い感銘を受けました。残念ながら、各曲の音楽的分析は、解説しながら実際に演奏してくださったオルガンの音が入らないと非常に分かり難いので省略し、ここでは最初の概説の講演要旨だけを紹介します(文責:石田友雄)。

人を変える音楽
 この美しいホールでお話しをしながら、この本当に素晴らしいオルガンを弾くことができることを大変嬉しく存じます。今日は『オルガン小曲集』の受難節のコラールについてお話しようと思います。この曲集は非常に簡潔なコラール集で、バッハは1714年から始めて、20年代まで仕事を続けましたが未完成のまま終わりました。
 「受難」という概念は、ユダヤ・キリスト教に基づくヨーロッパ人の文化において、非常に重要な役割を果たしました。旧約時代、エジプトやバビロンに捕囚されて非常に苦しんだ民衆は、救い主の出現を待ち望むように なりました。キリスト教の伝統では、人間イェスの受難が宗教的思想と生活の中心です。彼の死を通して救いが予告されたからです。
 さて音楽や絵画などすべての芸術において、ギリシャ悲劇から生じた「カタルシス」が大きな役割を果たします。カタルシスとは、特に悲劇の劇中の事件や人物に共感し衝撃を覚える情緒です。受難曲を聴いたり悲劇を見 た後で人はカタルシスを覚え、変わるのです。このことと関連して、ルター派の教会の伝統、すなわち、北ドイツの文化的伝統では、音楽が最も重要な文化形態であったことを指摘しておかなければなりません。ルターは他の宗教改革者とは違って、パウロから強い影響を受けた人ですが、パウロの神学では、信仰は耳を通して確信に至る道でした。ルターはまた詩人でした。彼自身、或いは友人が作詞した詩に作曲した歌を小グループ、家庭、そして教会で歌うようになりました。コラールの始まりです。

語る音楽
 ルターの死後数十年のうちに、ドイツでは音楽と修辞法の関係が確立し、音楽は語ることだ、という考えが成立しました。そして音楽は福音の釈義、すなわち説教の言葉と結びつき、礼拝の重要な構成要素になりました。それまで、カトリック教会で礼拝の美しい装飾だった音楽とは全く違う音楽として、ルター派の教会で音楽は信仰を語る役割を果たすようになります。
 こうして、ブクステフーデやバッハの音楽のように、音楽はカタルシスを与える、すなわち、深く人を感動させるものになるとともに、一定の状況を示すために、一定の意味を持つ多くの「音型」を使用するようになります。たとえば、下降音型は神の恵みが地上に降って来ることを示し、上昇音型は地上から神へ向かう讃美や祈り、上下に揺れる音型は不安な心を示します。また半音階や不協和音は苦しみや痛みを象徴しています。20世紀のバッハ研究に大きな貢献をしたアルバート・シュヴァイツァーは、客観的研究というよりは直観的な観察によって、『オルガン小曲集』で、一定のモチーフが一定の意味を表していることを発見しました。

象徴的数字の意味
 バッハの音楽を理解するために重要なもう一つの要素は「数字」です。17世紀には「数字」が比喩的な意味を 持っていると考えられていました。たとえば、「7」は「十字架上の七言」、「3」は「三位一体」の教義を表し、「11」は「十戒」の「10」+「1」から、戒めを踏み外したということで「罪」を意味したり、「12」ー「1」から、イェスを裏切ったユダを除く12使徒を示し、『マタイ受難曲』の3曲の合唱曲では、11小節に特別な意味を持たせています。
 またヘブライ語のアルファベットが数字と対応しているというユダヤ教神秘主義者のカバリストに学び、ヨーロッパ人もA=1、B=2・・・という計算をして、アルファベットの組み合わせによって出来る言葉を数字が象徴していると考えるようになりました。そこで、B=2、A=1、C=3、H=8を足した「14」という数字は、BACH(バッハ)を示します。音楽を聴いていてもわからないことですが、バッハは自分の音楽の中で14の音や14の小節を用いることにより、その音楽の内容に自分自身で参加していることを表現しました。たとえば、キリストの十字架による救いは、単に全人類のためではなく、バッハ自身のためだ、という告白です。
 このことは、バッハの宗教音楽に大きな影響を与えた17世紀のルター派の神学と無関係ではありません。すなわち、当時、シレジウスやアルントのような神学者が、キリストの十字架と救いは過去の出来事としてではなく、現在の自分の存在にとって重要な意味があるのだ、と説明しました。

『オルガン小曲集』の作曲目的
 今までお話ししてきたことを、これから、具体的にバッハの音楽に見ていきたいと思います。『オルガン小曲 集』というコラール曲集は未完成の作品ですが、目次ができていて、まず教会の暦に沿ってコラールが配列されています。すなわち、アドヴェント、クリスマス、エピファニアス、受難節、復活節、聖霊降臨節、三位一体祭と続き、その後はキリスト者の信仰生活をテーマにしたコラールが集められています。
 これをバッハは、前奏曲でも後奏曲でもない、新しい形式のコラール編曲として作曲しました。すなわち、大部分はソプラノに定旋律があり、ごく短い密度の高い作品で、序言で初心者のオルガニストの、特に足鍵盤の練習曲であるとも断っていますが、同時に各コラールの神学的メッセージを知ることが初心者にとって大切であることを示しています。
 さて、2001年3 月20日に生きているわたしたちにとって一番大切なことは、決して古い音楽を演奏したり、鑑 賞したりすることではありません。ルターもバッハも、バッハ時代の神学を知ることも大切なのですが、わたしたちが受難節のコラールを学ぶ際に一番大切なことは、実際にそのコラールを歌ってみることです。そこで、まず最初のコラール、「神の小羊」“O Lamm Gottes, unschuldig”をご一緒に歌うことから始めましょう。(以下省略)

*ラドゥレスクさんは、「バッハの森・演奏家芳名録」に、次の文章を英語で書き残していかれました。

 バッハの森で、この素晴らしい雰囲気に包まれて、壮麗なアーレント・オルガンを弾き、石田友雄・一子夫妻の素敵なおもてなしと友情を享受することは、何と楽しいことでしょうか。この非常に静寂で、面白い、くつろいだ、しかも貴重な時間に深く感謝します。バッハの世界を本当に感知できるようにしようとする、このプロジェクトの益々の発展と、知識と品と愛に基づく、眞に精神的な道による音楽造りために、心から祈念いたします。      
2001年3月20日 ミヒャエル・ラドゥレスク


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