今世紀末までに消滅すると予測される「危機言語」について、時々報道されますが、お気づきでしょうか。ある統計によると、現在、世界で会話に用いられている言語は6800語あるが、その半数はしゃべる人が2500人以下の「絶滅危惧言語」で、一つの言語が次世代に受け継がれていくために必要な話し手の人数(10万人以上)が足りない約90% 、6000語以上の言語は、今から100年の間に消滅してしまうだろうというのです。
すべての言語は、その言語をしゃべる人々が感じたり考えたりしたことを表現するために、少なくとも数千年かけて創り出された「文化遺産」です。このかけがえのない文化遺産がどんどん忘却されていく現状に愕然としました。これには、いろいろな原因があると思いますが、やはり経済的利益の追求に熱心なグローバリズムが生み出した現代的現象ではないでしょうか。身近な例をあげれば、わたしたち日本人の日常生活にも、今や世界共通語になった英語の大洪水が氾濫してとどまるところを知りません。この調子でいくと、100年後に日本語も「危機言語」になっているかもしれません。
バッハの森は開かれた学びの場です。いつでも誰でもバッハの森のプログラムに興味のある方は参加することができます。この1年もいろいろな方々(20歳代から50歳代)が、いろいろな地域(つくば市とその周辺だけではなく、東京、横浜など)から、新しく参加してくださいました。その中から5人の方に、最近のバッハの森の様子を伝えいただきます。
昨年4月に、大阪からつくばに転居して来て、もうすぐ1年になります。つくばの生活に慣れてきた6月の土曜の夕方、毎週、バッハの森で開かれている「J.S.バッハの宗教音楽」という教養音楽鑑賞シリーズに、夫と一緒に何度か出席し、会員にもなりました。 そこで夏休み前にいただいた「秋のシーズンの学習プログラム」の中に、「ハンドベル教室」があることを知りました。わたしとしては、以前、テレビ・ニュースの一コマで見た、あのハンドベルに触れて学ぶことができるというので、すっかり嬉しくなりました。最初はまだバッハの森のことをよく理解していなかったので、ただハンドベルを振ってみたい、ハンドベルのアンサンブルに参加したいという、単純な気持ちでした。一つだけ心配だったのは、「五十肩」が最悪の状態だったことです。しかし、わたしの場合、つくばに住むのはこの2〜3年の予定ですので、五十肩が治るのを待っていたら、せっかくのチャンスを逃してしまうと思い、一体どうなることやら・・・・と思いつつ、とにかく9月から参加させていただきました。
実際に始めてみると、優しく可愛いらしい形のハンドベルが、振り方一つでいろいろな表現ができる、びっくりするほど奥の深い楽器であることが分かってきました。また演奏するときには、各自が自分の持ちベルを受け持ってアンサンブルを作るので、各声部別に参加するアンサンブルとは違う音楽であることを強く実感しました。さらに、もっぱら練習しているバロック時代のコラールについて、講師の石田一子先生が、音楽のことの他に、時代的、宗教的な背景もお話ししてくださるので、ますます興味深く取り組めるようになりました。
もともとバロック音楽やバッハの音楽が大好きだったので、このようなレッスンに入りやすかったのかもしれません。今年1月からは、合唱にも参加させていただき、バッハの音楽の素晴らしさを、いよいよ感じることができるようになりました。今は、5月にドイツから2人の先生をお招きして開かれるワークショップに、ハンドベルと合唱で参加できることをとても楽しみに練習しています。
(つくば市 小嶋しのぶ)
昨年の秋に初めてバッハの森を訪れました。きっかけは、下館図書館の郷土資料コーナーに置いてあった、つくば市の文化を紹介する本で、バッハの森の活動を知ったことです。バッハの音楽は前から大好きで、特にオルガン曲が好きだったので、「パイプオルガンがあるチャペル風ホール」という紹介に惹かれて、一度訪ねてみたいと思いました。
最初、土曜日の夕方の教会音楽を鑑賞する講座に出席してみましたが、バッハのカンタータを鑑賞するだけではなく、カンタータの主題歌(コラール)をみんなで歌ったり、音楽の背景となっている聖書の箇所の朗読や解説があり、バッハの音楽をより深く理解することができました。パイプオルガンの演奏も聴くことができ、その響きの美しさに感動しました。そのとき、パイプオルガンが設置されているギャラリーに登らせていただき、オルガンの仕組みを説明していただけたことも、とても貴重な経験でした。
その後、時々、この土曜の講座に参加していましたが、早く行ったときに、その前に開かれている合唱の練習を見学する機会を得ました。そのとき、誘っていただいたので、楽譜を拝借して合唱に参加してみました。それまでは、合唱曲を聴くことは好きでしたが、自分が歌うことなど考えたこともありませんでした。でも実際に参加してみると、みんなで一つの音楽を創り出す素晴らしさや、声が重なり合う美しさを感じることができ、合唱に参加することは、バッハの音楽を体で体験できる良い機会になることがよく分かりました。
今は、5月にバッハの森で、ドイツから音楽家を招いて開く年に一度の音楽フェスティバルのコンサートを楽しみに、練習に励んでいます
(下館市 海老澤美幸)
わたしが初めてバッハの森に足を踏み入れたのは、去年の12月のことでした。「子供クリスマス」というコンサートのプログラムがあると聞いて、直前に電話をかけ、大人一人でもいいという了解をいただき、ちょっとドキドキしながら聴きに行ったのです。
そうすると、子供向けのはずのプログラムに大人が惹きこまれてしまいました。さまざまな楽器の音色、鮮やかなスライド、透明な歌声と楽しそうなメンバーの表情。「音を楽しむ」ことを知っている人たちの集まりであることが空間を通して伝わってきて、何だか羨ましいなぁと思いました。
知人がバッハの森クワイア(混声合唱団)にいたので、練習に関する情報はそれまでいくらか耳にしていましたが、参加するのにはいくつかの点で不安がありました。まずはドイツ語やラテン語で歌う歌詞の言葉。クワイアにはこれらの外国語に堪能な人が多いという噂を聞いたので、自分はついていけないのではないかという不安。それから、専門的に音楽をやっている人が多いらしいという噂。そんなところに自分が入っていくのは、ちょっと・・・という気分があったことは否めません。 でも、思い切ってクワイアに参加して毎週の練習に出席してみると、歌詞の言葉には丁寧な解説があり、音楽を専門としない人たちも多くいることがわかってきました。つまるところ、ここで必要なのは、このグループの中でバッハの音楽を楽しみたいという思いなのだなと感じられました。
合唱は主として混声4声の曲を歌っています。決して易しくはない曲を練習する中で、音程だけではなく、各パートが持つ意味についても触れていきます。正直なところ、音を作ることにこれほどまで意味があると考えたことはそれまでありませんでした。
まずよく聴くこと、そして表現すること。しかも何をどのように表現するのかということ。指導してくださる和田先生のしぐさや表情が、何よりもそれを「語っている」と感じ、それを表現できたらいいなぁと思いながら歌うとき、今までになく楽しい気持ちになることができます。一緒に歌うメンバーとの交流も深めながら、曲に込められた何かを伝えられるように歌えたらいいなぁ、と思っているこの頃です。
(つくば市 久保和子)
私は宗教曲とソプラノのキャスリーン・バトルが大好きで、このような歌を歌ってみたいと思い、去年11月末に初めてバッハの森を訪ねました。そのとき、クワイア(混声合唱)の皆さんが、奏楽堂でクリスマス・コンサートのための練習をなさっていましたが、各パートが美しく一つにまとまって、とてもきれいな歌声に感動いたしました。
合唱の練習に参加して3ヶ月目になりました。音楽について特に勉強したことがない私にも、毎回、指揮者の和田先生やヴォイストレーナーの比留間先生のお話しは分かり易く、とても新鮮な気持ちになります。今まで合唱は、ソプラノとテナーが表で、アルトとバスは裏のような関係だと思っていたのですが、バッハのカンタータ第6番:「私たちのもとにとどまってください(Bleib bei uns)」を歌ってみて、それぞれの声部がキラッと光ったり、陰になったりして複雑に関係していることが分かってきました。
ハンドベルには今年1月から参加しました。思っていた以上に難しいですが、とても楽しい楽器です。自分の担当する音はどんなことを表現するための音なのか、歌詞を読んだり歌ったりしながら考え、曲のイメージについても話し合いながら練習していくことで、音楽の基礎をじっくり学ぶことができ、とても勉強になっています。 3月からは「教養講座:聖書を読む」にも参加するようになりました。石田友雄先生から聖書の読み方を教えていただき、聖書がますます面白くなりました。宗教曲や宗教画の勉強も、聖書の内容を知らなければ、そこに籠められている意味を感じることはできないと思います。「教養講座:聖書を読む」を私の必修科目にして、これからも教会音楽を時間をかけて学んでいきたいと思っています。
(土浦市 吉田香織)
それまで、コンサートホールのオルガンの音しか聴いたことがなかった私に、バッハの森の奏楽堂のアーレント・オルガンの暖かく心に染み透るような音は、驚きでした。このオルガンを弾いてみたいという思いから、昨年末、バッハの森のオルガン教室で学び始めました。 まず知らされたことは、バッハの森では、ルターからバッハの時代にかけて作詞、作曲された、ドイツの宗教歌、コラールを中心に学ぶので、コラールの歌詞の意味、内容、背景などを知って弾かなければならないということでした。そのために、具体的には、毎土曜日夕方に開かれている「J.S.バッハの宗教音楽」を始め、いろいろな研究会に出席することが必要だというのです。 子育て中の私にとって、この「受講資格」は、正直、大変なことで、果たしてやっていけるだろうか、と不安になりましたが、石田一子先生から「今、出来る範囲でなさってみたら?」という励ましとアドバイスをいただき、思い切って学び始めました。
こうして始めてみたのですが、実際にコラールをオルガンで弾いてみると、何も知らないで弾くのと歌詞を学んでから弾くのでは、演奏に大きな違いがあることが分かり出しました。今まで聖書も教会暦も知りませんでしたが、教会カンタータやコラールが、聖書と教会暦を背景とする生活に根ざしていることも、だんだん分かってきたところです。
今は子育てのため時間の制約があり、限られた研究会しか出席できませんが、子育てが落ち着いたら、もっと幅広く学んでいきたいと思っています。バッハの森のオルガンの何ともいえない響きに魅了されて・・・。
(土浦市 海東俊恵)
3月21日は、春分の日、 ヨーハン・ゼバスチャン・バッハの誕生日、それにバッハの森の創立記念日です。今年は「受胎告知」をテーマに、音楽とスライドと朗読の会を開きました。春一番が吹き荒れる中、定員80人の奏楽堂に、子供20数人を含む約100人が集まり、大変盛り上がりました。
まず主題コラール「いかに麗しく輝いていることでしょうか、明けの明星は」の歌詞(石田友雄訳)の朗読が、わたしたちを輝かしい憧憬の世界へ導きました。続いて、天上からハンドベルによるコラール旋律が降り注ぎ、さらにトランペットとオルガン、合唱、オルガン独奏が、イェス・キリストを象徴する明けの明星の輝きを様々な美しい響きによって描き出しました。
音楽演奏にはさむ形で、ルネサンス時代の画家たちによる「受胎告知」をテーマとする多数の名画がスライドで映し出され、それにつけられた短い朗読劇と解説で、これらの宗教画が伝える物語が伝えられ、象徴が説明されました。
その後で、「受胎告知」を受けたマリアがエリザベトを訪問したときに歌った、「マニフィカト(私の魂は主をあがめ)」を、参加者全員で輪唱しました。指揮をした私は、このラテン語の歌を、楽譜もわたさず、はたしてみんな歌ってくれるかどうか心配でしたが、そんな心配は無用でした。何回も何回も歌ううちに、奏楽堂全体に響き渡る美しいハーモニーをみんなで楽しみました。
最後に、D.ブクステフーデの小カンタータ「イェスよ、わたしの喜びよ」を、2本のトラヴェルソ、チェロ、テオルボ、チェンバロの器楽アンサンブルと、ソプラノ独唱とソプラノとアルトの二重唱で演奏しました。最後の曲を含めて、いわゆる子供向けの音楽は一曲もなかったのですが、子供たちが熱心にみつめていてくれたことが印象的です。
ルネサンス・バロック時代のすぐれた芸術家たちが遺してくれた素晴らしい音楽や絵画を、このような形で分かり易く楽しみながら、子供たちへ伝えていく活動を、今後も続けていきたいと願っています。
5/5(日)午後5時
T.L.デ・ヴィクトリア:「ヘブライ人の子らは」
J.ローゼンミュラー:「エレミヤの哀歌」
J.H.シャイン/S.シャイト:「イェスが十字架につけられたとき」 他
春分の後の最初の満月の晩、過越祭を祝うユダヤ人の慣習に従い、2000年前のエルサレムで、ナザレのイェスと12人の弟子たちは、過越祭の晩餐を開きました。これは、弟子たちがイェスと共にした「最後の晩餐」になりました。その夜、逮捕されたイェスは、徹夜の裁判を受け、翌日午前中に、ゴルゴタの丘で十字架につけられ、午後3時過ぎに絶命しました。その遺体は、その日の夕方十字架から降ろされ、墓に葬られました。その3日後、週の初めの日の日曜日の早朝、数人の女弟子が、イェスの遺体に香料を塗るため墓に行ってみると、墓の穴をふさいでいた石が転がされていたので、墓の中に入ってみると墓は空でした。この事件をきっかけに、四散していた弟子たちの間に、イェスは復活したという信仰が起こり、キリスト教が始まったのです。初代教会以来、復活祭はキリスト教の最も大切な祝日とされ、復活祭に先立つ1週間はイェスの受難をしのぶ受難週(聖週間)になりました。
受難週は、ろばの子にまたがってエルサレムに向かったイェスを、待望のメシアと考えた民衆が、棕櫚の枝と衣服を道に敷き、歓呼の声をあげて迎えた「棕櫚の主日」に始まります。そして、特に木曜日は「最後の晩餐」、金曜日はイェスの十字架、土曜日は墓に葬られたイェスの休息を記念する日として守られました。
古代から修道院でささげられた早朝の礼拝「朝課」では、受難週の木、金、土、三日間、次第に灯火を消して最後に「暗闇」(ラテン語で「テネブレ」)にする習慣が中世に始まりました。このため、この聖なる三日間の朝課の典礼歌を「テネブレ」と呼ぶようになります。
今回は、「棕櫚の主日」と「テネブレ」から3曲を合唱と独唱で歌い、また十字架上のイェスが語った「七つの言葉」をオルガンと合唱と朗読で交互に演奏します。
5/6(月)午後2時30分
J.S.バッハ: カンタータ第6番 わたしたちのもとに留まってください」 他
夕暮れが迫り、恐れにおののく弟子たちが、復活したイェスに出会い、その心が熱くなった様子を描く美しくも胸に迫るカンタータです。
いつも「バッハの森通信」やコンサートのお知らせをお送りいただき、有り難うございます。参加できず、残念です。さて、今年の1月17日で阪神大震災から7年たちました。改めて、あの時寄せていただいたバッハの森の皆様の暖かいお励ましを思い出し、感謝しております。
ご無沙汰しているうちに、すっかり春たけなわになり、もう桜が咲き始めました。きっと、蛙の鳴く田圃の中の奏楽堂で、今も皆様ご活躍のことでしょうね。何年も前にうかがった頃の田園風景を、いつも懐かしく思い出しております。私はいつの間にか米寿になりました。どうにかまだボランティアのお手伝いをしておりますが、もう遠出が一人でできなくなり残念です。ほんの少々ですが、ご寄付申し上げます。皆様方のご活躍をお祈り申し上げております。
すっかりご無沙汰申し上げておりますが、皆様、お元気でしょうか。今年も受難の季節となり、昨年この季節にバッハの森でミヒャエル・ラドレスク氏のレクチャー・コンサートをうかがうことができた幸せを思い出しております。あの時はギリシャ悲劇とバッハについてラドレスク 先生に質問するチャンスも与えられ、バッハの森の自由な雰囲気を楽しみました。あの素晴らしい木造建築と周りの自然、東京にはない夜の深いしじまの中にあるバッハの森の研究会では、友雄・一子両先生が知的で主張があり、個性的で独立精神に富み、権威に対する批判も強烈でいらっしゃったことを忘れることができません。いろいろお世話になり、有り難うございました。
シュヴェリン大聖堂では、今「ヨハネ受難曲」を練習しています。先日シュヴェリン大聖堂聖歌隊とプラハに行き、プラハの合唱団と一緒に130人でドボルザークの「スタバト・マーテル」を演奏してきました。演奏旅行は大成功でした。プラハはヨーロッパでも最も美しい都市の一つで、聖歌隊のメンバーは皆楽しんでいました。今年は穏やかな冬だったのに、シュヴェリンを出発するときは吹雪になり、バスで13時間もかかったので、少々くたびれました。けれど、音楽をするということは、本当に素晴らしいことです。
イースターおめでとうございます。こちらはまだ冬の名残のような寒さです。でも庭を見ると桜が咲き、チューリップ、アイリス、水仙などが一斉に咲き出し、春らしい眺めです。先日、一子先生がお電話で、今年のワークショップの課題曲、シャイトの「イェスが十字架につけられたと
き」は「とてもきれいな曲よ」とおっしゃっておられましたが、この頃本当に美しいな・・・と思いまがら、ぽつりぽつりと弾いています。
先日、大学のチャペルクワイアと大阪、京都の教会や病院を訪問する旅に出てまいりました。京都のバプテスト病院というところでは、朝から夕方まで数回礼拝や小さなコンサートをして過ごしましたが、多数の車椅子のお年寄りの方々が一緒に口ずさんでくださるような時に、音楽によって心が一つになる感動を味わいました。
5月にはまたバッハの森に伺えると思うと嬉しさで一杯です。元気によく準備をして出掛けたいと願っております。お会い出来る日を楽しみに。