バッハの森通信第78号 2003年01月20日 発行


巻頭言

一緒に歌い、共に学ぶ、"拡大家族"への招待

  再び“皆様”と“一緒に”新しい年を始めることができます。これは大変有り難いことだという思いが、年々強くなります。“皆様”とは、バッハの森で一緒に歌い、共に学び、協力して運営に携わっているメンバーのことだけではありません。お目にかかる機会が余りなくても、バッハの森の活動に共感を覚え、応援していてくださる方々も含めた、全員のことです。

  バッハの森は、バロック時代の教会音楽をテーマに活動しています。これは、非常に特殊なテーマです。しかも、バッハの森は、資格取得のような「現世利益」もない小さな文化団体です。それにもかかわらず、現在、全国に約250人の会員がいます。テーマの特殊性と団体の 性格から考えると、これほど多数の共感者がいることは驚きであり、有り難いことだと思います。

   こう言うと、バッハの森がプロの音楽家や音楽に造詣の深いエリート愛好家の集団であるような印象を与えるかもしれませんが、それは誤解です。確かに、会員の中には優れた音楽家も、もともと古楽愛好家だった人もいますが、それはごく少数の方々で、大多数は、バッハの森で初めて聴いたバロック教会音楽の響きに魅了され、バッハの森で一緒に歌い、共に学ぶうちにバッハの森に“はまった”人たちか、バッハの森の活動目的に共感してくださる方々です。

 




   バッハの森の活動目的は“一緒に”音楽をすることです。一般に音楽は演奏者とその演奏を聴く“聴衆”から成り立つ芸術ですから、世間一般の音楽活動は、何らかのコンサート形式で行われています。それはそれとして、バッハの森は、教会音楽本来の響きを再現することにこだわり続けてきました。そのために、先ず昔の教会音楽が、本来、教会の何らかの宗教行事のために作曲され、演奏された音楽だったということを思い出しました。これは、参加者を演奏者と聴衆に二分するコンサートホールの音楽ではなく、演奏者も含め、教会に集まった人々全員で一定の宗教行事を行うことを目的とした音楽でした。ですから、このような宗教行事に“聴衆”はいません。演奏者も含めた“会衆”がいるだけです。

   もちろん、宗教団体ではないバッハの森の"コンサート"は、宗教行事ではありません。しかし、私たちは、音楽を演奏するときに、バッハの森に集まった方々が演奏者と聴衆に分かれず、全員で“コンサート”をする努力をしてきました。ですから、ある会員の方から、「昨年のクリスマス・コンサートを聴き、心からの平安を感じました」という年賀状をいただいたとき、この方があの"コンサート"に"会衆"として参加していてくださったことを知り、大変嬉しく思いました。




  これほど教会音楽本来の状況の再現を目指しても、バッハの森が"教会"になるわけにはいきません。当然のことですが、現代の教会の関心事は現代の人々であって、バロック時代の音楽ではないからです。しかも教会は会員の信仰告白を要求する宗教団体ですから、誰でも簡単に入れる組織ではありません。その点、バッハの森は、会費さえ払えば誰でも会員になれる"気楽な"市民クラブです。

  それでも、18年間の活動を積み重ねているうちに、バッハの森は、バロック教会音楽を一緒に歌い、共に学ぶ喜びを分かち合う人々の" 拡大家族"になりました。年末に開いた、会員の家族のためのクリスマス祝会は、7ヶ月の幼児から70代まで、各世代すべてを集めた楽しい祝宴になりました。幼児2人をつれて参加した方から、「今まで味わったことのない素敵な会でした」という年賀状をいただきましたが、この素敵な"拡大家族"こそ、バッハの森で響く教会音楽の"演奏者"と"会衆"にほかならないのです。今年、あなたもバッハの森の「拡大家族」に参加なさいませんか。

(石田友雄)


REPORT/リポート/報告

2002年 バッハの森のクリスマス

クリスマス・コンサート(2002.12.15)で朗読されたメディタツィオ:

クリスマスの歌を歌おう
恐怖と憎しみと怒りの連鎖を断ち切る光を求めて

  私たちの世界は、今、止めどなく増幅する恐怖と憎しみと怒りの連鎖により、究極のカタストロフに向かって突き進んでいるように見えます。特に去年9月11日にニューヨークが奇襲攻撃されて以来、報復に報復を繰り 返す殺戮行為が世界中に広がりました。アフガニスタン、イスラエルとパレスチナ、カシミール、インドネシア、チェチェン、その他多数の地域で、恐怖に由来する憎しみと怒りはいよいよ激しく燃え上がっています。その上、超大国アメリカが、イラクを先制攻撃する準備を着々と進めているため、国際社会を巻き込む戦争とそれに報復する無差別テロの予感に世界は怯えています。しかも、対立する諸国、諸集団は、これまで人類が持ったことがない、恐ろしい大量殺戮兵器をすでに保有しているか、或いは、入手しようとしています。今や人類滅亡の筋書きは整ったと言えるでしょう。

  それにしても、ここまで人類を追いつめた本当の原因は何だったのでしょうか? それは、恐怖に由来する憎しみと怒りの、どうしても断ち切ることができない連鎖でした。私たち日本人は、第二次大戦に敗北して以来、例外的に恵まれた国際情勢の中で比較的平和な暮らしを享受してきたため、迂闊にもこのことを忘れてきました。しかし、今、世界の状況は、誰も他人事ですますわけにはいかないほど危機的なのです。

  確かに、一般日本人にとって、自分の国の政府が軍艦をインド洋に派遣していることは、まだ遠いかなたの事件かもしれません。しかし、日本人拉致問題の解決を棚上げして、核実験の再開を宣言し、ミサイルを誇示する、北朝鮮の現政権に対して、今や恐怖と憎しみと怒りが、日本中で日増しに増幅しているではありませんか。

  このように、恐怖と憎しみと怒りの連鎖は、当事者になってみて初めて理解できることなのですが、歴史を学ぶと、これが、絶えず人類を苦しめてきた呪いの連鎖であったことを知ります。ただし、比較的平和な時代もあれば、憎しみと怒りが極限に達し、その結果、近づく世界の終わりを、人々がひしひしと感じた時代もありました。不幸なことに、2000年前のユダヤは、まさに終末的な状況でした。

  ユダヤを占領するローマ人、反乱を繰り返すユダヤ人過激派、利害が複雑に絡み合う体制派と反体制派の争い。こうして、年々エスカレートする恐怖と憎しみと怒りの報復が約200年続きました。その結果、2世紀初めまでに大反乱が2回起こり、エルサレムは完全に破壊され、ユダヤ全土は廃墟と化し、ユダヤ人はユダヤから追放され、世界中に離散しました。

  この終末的時代に、恐怖と憎しみと怒りの連鎖を、その生き方と死に方を通して断ち切ってみせた一人のユダヤ人がいました。ナザレのイェスです。彼は、見捨てられた人々の友となり、貧しい人々に慕われたため、支配階級の妬みを買い、結局、弟子たちからも見捨てられ、自ら、神にも見捨てられた、と叫んで十字架の上で息絶えた人物です。

  ところが、生前のイェスの強烈な人格に触れた弟子たちの中から、復活したイェスに出会ったという人々が続出すると、この神秘的体験を通して、彼らは、改めてナザレのイェスは誰であったのか、と自問自答し始めます。そして、彼こそは、恐怖と憎しみと怒りの連鎖を断ち切ることを教えるため、天の王宮を去り、貧しい人間になって、地上に降ってきた神であった、という答えに到達したのです。この答えの延長上に、彼はベツレヘムの馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされた幼な子であったという降誕物語が成立しました。そして、そのとき、天使たちが「いと高いところにいます神には栄光が、地上では良い思いの人々に平和があるように」と歌ったと伝えます。「神に支配を委ねれば、地上に平和が実現する」という意味です。

  残念ながら、その後、2000年間、人類は憎しみと怒りの連鎖を断ち切ることができないまま、報復の歴史を繰り返してきました。それにもかかわらず、多くの人々が、ベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶に寝かされた幼な子を忘れ去ることができなかったことも事実です。

  この思いは、2000年の歴史を通じて数々の美しい歌になり、この幼な子に捧げられてきました。これがクリスマスの歌です。皆さん、一緒にクリスマスの歌を歌いましょう。憎しみと怒りの連鎖を断ち切る光が発見できるかもしれません。
(石田友雄)




胸熱くなったコラール
  12月が近づくとバッハの森の館内には、キリスト誕生にちなんだ(主にルネサンス・バロック時代の)宗教画が飾られ、人形劇の人形や世界各地のクリッペ(クリスマス人形)が展示され、クリスマスへの期待がまってきます。
 私はもう何年もバッハの森に通っていますが、白状しますと、クリスマス・コンサート、ファンタジー(人形劇)、祝会という“三位一体”で完成する「バッハの森のクリスマス」に全部参加するのは、今回が初めてでした。(祝会の前に「クリスマス・オラトリオを聴く会」を開く年もあります)。この三つの柱の一つ一つが味わい深く構成されており、全体で大きな流れとなって、他では得難い感動的なクリスマスを迎えることができます。
 また、録音、人形製作、スライド撮影、飾り付け、美味しいお料理など、メンバー各自が得意な分野を生かして、全部“自前で調達”できるのも素晴らしいことです。
 三つの柱の中で、私がもっぱらかかわったのは合唱ですが、今シーズンは、ご夫妻ともクワイア・メンバーのFさんの幼な児(男の子)が、毎週の練習中、いつも傍らでスヤスヤ眠っていたので、みんなの心が和みました。その上、飼い葉桶に眠る幼な児について歌うクリスマスの歌の歌詞を覚えるのに、一役買っていました。特に大好きなヴィクトリアの“O Magnum Mysterium”(おぉ、偉大な神秘よ)を歌った練習は心地よく、「今日の練習はもう終わり?」といつも思う幸せな時間でした。
 学生のころ、宗教歌を歌いたくて合唱を始めましたが、コラールとは何かずっと疑問のまま過ごしてきました。バッハの森で、コラールが、16世紀に宗教改革をしたルターが、グレゴリオ聖歌などをもとに作詞作曲したドイツ語の讃美歌であることを学びました。そこで、ピアノ曲に編曲されたコラール前奏曲を弾いてみると、そのコラールの旋律と意味が浮き上がってきます。先日は、サイモンとガーファンケルの古い歌を聴いていて、これが元々はコラールだということに突然気づきました。このように、日々発見があります。
 今回のクリスマス・コンサートでも、古いラテン語聖歌に基づくルターのコラール“Christum wir sollen loben schon”(キリストを私たちは本当に讃美すべきだ)を、ハンドベル、オルガン、合唱、斉唱を織り交ぜて演奏しましたが、歌っていて胸熱くなる思いでした。
 個人的には、健康上の理由などから、長期のお休みなどもしましたが、いつも温かく受け入れてくださるバッハの森の皆様に、大変感謝しております。
(三縄啓子)


基本の基本
  バッハの森での活動に参加して1年がたった。「宗教曲をできるだけ本来の形式で」学び、演奏していることの良さにひかれ、何年も通っている同居人の薦めで、初めてクワイアの練習に参加したのは、2002年1月だった。
私が勤務する公立中学校は、この年の4月から土曜日を休日とする週五日制となった。「土曜日は休日なんでしょ? つきあいなさいよ」「・・・とりあえず1月は参加してみようか」。1月が春までになり、連休までがクリスマスになった。
   完全な休日になるはずの土曜日は、覚悟はしていたが、部活動の日になった。午前中に練習したり、練習試合があり、それを切り上げて横浜から高速道路を飛ばして、つくばに向かう土曜日が続くようになった。そのために車も乗り換えた。テストや成績つけの忙しい時には、往復だけでかなり疲れた。
 それでも私をつくばのバッハの森へ通わせたのは、週末ぐらいしか夫婦の時間を持てないという反省が1割。ずっと活動してきた地元の合唱団の練習が今ひとつと感じ始めたのが1割5分。しかし、残りの7割5分は、バ ッハの森全体の持つ独特の雰囲気の魅力だった。決して多くはないクワイア・メンバーの人数。親しみ易いようでいて、同時に専門的な技量が十分の指導陣。周囲の田園風景。時々聞こえる茨城弁の暖かみ。これらすべては私にとって「独特の魅力」の大事な要素だった。
 クリスマス・コンサートの前後、大きな教育改革の現場の日常にあって、「何を学ばせていくのか?」「大切なのはいったい何か?」という根本的な問いに迫られていた。教科を扱う時間が大幅に減って、ただでさえ難しい内容が十分に理解できていない子供。新しい方法や手法の違う授業づくりで多忙を極めた日々だった。そのころバッハの森奏楽堂の小さな世界で、少人数のクワイアがしていた音楽造りは、歌詞の根本的意味を問い、本来の形式を追求し、ラテン語やドイツ語の歌詞を意味の通る日本語になおし・・・すべきことの基本の基本を手作りで作っていく過程であった。
 どんなに世界がテロと聖戦に混乱し、過去の侵略と現在の無法の解決の方途を見失っていても、大切なのは平和と相互の信頼であって、決して恐怖と報復の連鎖ではないという、クリスマス・コンサートの中で朗読された「メディタツィオ」に、私ははっとさせられた。基本は変わらない。何年たっても「人の望みは地に平和」だ。それを変えようなどとしてはいけないのだ。冷静に、大切なものを変えずに、手作りしていけばいいのだ。
 今までにない安心できたクリスマスになった。無理をせずに続けるつもりだ。それこそが、生き方の基本の基本だろうから・・・。
(三縄肇)


素晴らしい経験
 つくば市に転居し、すぐに「バッハの森」の存在を知りました。しかし、日々の生活に追われ、落ち着いたら必ずうかがおう・・・と思っているうちに、子供が生まれ、気がついたら、転居してから12年もの歳月が過ぎていました。数年前からは、友人の和田純子さんにも声をかけていただき、音大で声楽を学んだにもかかわらず、なかなか最初の一歩が踏み出せずにおりましたが、遂に決心して去年から合唱の練習に参加させていただくようになりました。
 こうして皆様と一緒に声を出し、美しい音楽を歌ってみると、その楽しさは、私にとって全く新しい喜びになりました。それに、今までほとんど学んだことがなかった教会音楽を、石田友雄、一子先生ご夫妻と比留間恵さんの懇切なご指導を受けて詳しく学べることを、大変幸せに思っております。
 さて、私がバッハの森クワイアに参加させていただいてから、約1年が過ぎようとしていますが、「バッハの森のクリスマス」は、今回が初めての参加となりました。今まで決して身近ではなかった、キリスト教文化、宗教音楽、聖書などを、この1年、ほんの少しづつではありますが学んできたので、このクリスマスは、1年の締めくくりとして素晴らしい経験になりました。
 まず去年の秋は、クリスマス・コンサートを目指して、歌う曲の内容を理解し、解釈しながら、友雄先生、一子先生、それに恵さんの熱心な指導の下に、みんなで一体となって美しく歌い上げていく音楽造りの楽しさを満喫することができました。この合唱練習は、宗教音楽の初心者である私にも大変分かり易く、このような音楽の理解を深めるためのよい機会になりました。
 クリスマス・ファンタジーでは、スライド人形劇「アマールと三人の王様」のナレーションをさせていただきましたが、これもまた、初めての楽しい経験でした。8歳になる娘は、この人形劇で、それまでなかなか理解が難しかった奇跡物語を、とても楽しんだ様子でした。また余り見たり聴いたりする機会のない古楽器の演奏にも、興味を示していました。
 その後で開かれたクリスマス祝会には、主人と娘共々一家3人で参加させていただきました。皆様各自手作りのとても美味しいお料理とデザートに舌鼓をうち、最後のお楽しみのホームコンサートでは、芸達者な皆様の入 れ替わり立ち替わりの演奏に、娘も大興奮の夜を過ごさていただきました。
 私のバッハの森での経験は始まったばかりです。気持ちはどんどんはやるばかりですが、ゆっくりと楽しみながら学んで行きたいと思います。皆様、どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
(寺嶋麻衣子)




「コラールの和声」

教会音楽のためのオルガンを学ぶために

 バッハの森でオルガン教室を始めてから今年で6年目になります。18年前にバッハの森を創設する時から、ユルゲン・アーレント氏にオルガンの建造をお願いすることは決まっていました。しかし、12年前に実際にオルガンが設置されると、バッハの森が目指す理念を、どのようにしてオルガンを用いて形にすることが出来るか、更に年月をかけて模索しなければなりませんでした。
 音楽大学のオルガン科では、当然、コンサート・オルガニストになるための教育を受けますが、バッハの森では、それとは違う角度から、オルガンという素晴らしい楽器のありようを体験してもらいたいと思っています。
 バッハが精魂傾けて創り上げた宗教音楽の世界、その一環としてのオルガン。どうしたら、日本という異文化の地で、その真髄を体験することができるのでしょうか。しかも、音楽を専門としない“普通の”人たちと。
 2000年秋、「教養音楽鑑賞シリーズ:J. S. バッハの宗教音楽」を開講して、オルガン教室で学ぶ人たちが、オルガニストを交代で務めることになりました。この講座では、毎週1回、教会暦に従って選ばれる教会カンタータを、短い解説と共にCDで鑑賞しますが、その際にオルガニストは主題コラールのオルガン編曲の演奏と、参加者全員で斉唱するコラールの伴奏をします。このような講座を開講してみて、本来、コンサートホールの独奏楽器ではなく、教会の典礼音楽の一翼を担っていたオルガンの姿が、かいま見えるようになりました。
 現在、オルガン教室で学んでいる人は12人。その内訳は、音大ピアノ科出身が4人、教育音楽科が1人、オルガン科出身はゼロです。教会でオルガニストをしている人は12人中3人だけ、クリスチャンは5人。日本のごく 一般的状況といえましょう。
 オルガンを学びに来た人たちの興味の中心は、誰でもオルガンの独奏曲を弾くことで、コラールを知り、その伴奏をすることは二の次です。しかし、「鑑賞シリーズ」のオルガニストを務めなければならなくなってから、コラールの伴奏に興味を持つ人たちが増えてきました。そこで、昨年秋のシーズンに、初めてコラールの伴奏を学ぶ研究会を始めてみました。今年は、コラール伴奏に必要な和声の知識については色々なレベルの人たちと、昨年秋の経験を生かして「コラールの和声」という研究会を開きます。
 どなたでも、バッハの森の新しい考え方に興味を抱き、新しい発見をたい方は、いつでも「門を叩いて」ください。

(石田一子)


たより

クリスマス、ヴッパータール(ドイツ)
 Ein gesegnetes Christfest und ein Gutes Neues Jahr!
 先日のバッハの森訪問は、とても素晴らしい1日でした。オルガンで演奏してくださった「イェスよ、わが喜びよ」(Jesu, meine Freude) は 今なお私の耳と心に響いています。

(シュヴェスター・エリザベート・フョーリンガー)

クリスマス、ハルステンベルク(ドイツ)
 Frohe Weihnachten und ein gutes Neues Jahr.
 大変ご無沙汰してしまい申し訳ございません。こちらに来て、音楽文化、教会文化の根付き方に驚かされ、感動の日々ですが、相変わらず仕事に追われっぱなしの私です。パワフルなはづきさんが、時々連絡をしてくれます。それに、こちらハンブルクの想像を絶する寒さ(!!)にタジタジの今日この頃です。
ドイツ語はまだ発せず、笑顔のみで勝負しております。友雄先生、一子先生、猫様、そしてバッハの森の皆々様が、どうぞ幸多き2003年を迎えられますように。

(山路千華)

2003年元旦、神奈川県二宮町
 石田友雄様
 新春のお喜びを申し上げます。今年は多くの方々と共に心豊かな日々を過ごしたいものです。
 昨年、斉藤道雄著『悩む力 ー ベテルの家の人びと』(みすず書房)を読み、久しぶりに魂が激しく揺さぶられました。ソーシャルワーカーが精神に痛みを持った人たちと共同生活を始め、挫折を繰り返しながら生き抜いてきたドキュメンタリーです。
 まず患者たち自身が、病いと戦うのではなく、あるがままの自分を受け入れ、お互いの弱さを認め合いながら、生きる力と安らぎを生み出し ていく姿に圧倒されました。また、このソーシャルワーカーが、10数年もの間、幾度となく絶望のどん底に突き落とされながら、投げ出すことなく続けてきたタフな精神力には舌を巻く思いでした。45年前に婦人保護施設「いずみ寮」で活動しておられた深津文雄さんや石田さんも、かくあったのだろうと、改めて当時のご苦労に思いをいたしました。
 同書の最後の方で「この人生から"なにを問われているのか"と私が問うのではなく、あなたはこの絶望的な状況、危機のなかで"どう生きるのか"と、私が問われているのです」と語る著者は、「絶望のなかからの問いかけ。それがベテルの理念の始まるところだった。もしも絶望ではなく、希望から始まったとするならば、その歩みは全く違ったものになっていただろう」と書いています。
 このくだり、どこかで読んだなと考え、思いあたったのがニーチェです「何のために私たちが生きているのか、という問いに答えはない。それにもかかわらず人生は生きねばならない。"何のために"ではなく、 "いかに"生きるかを自分自身で選ばねばならないのだ」というようなことをニーチェは言っていたと記憶します。
 バッハの森の様子はHPで時々拝見しております。バッハの森のますますのご発展にご尽力くださいますよう、心から祈念いたします。

(那須信彦)


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