バッハの森通信第79号 2003年04月20日 発行


巻頭言

平和を待望する歌

人間は戦争をする生物だという
謙虚な認識から始めよう

  とうとうイラクに米英連合軍が攻め込んで、戦争が始まりました。どちらの側につく人も、つかない人も、世界中が怒りを覚え、不安に怯えています。毎日、毎日、テレビの映像を通して伝えられる、戦場の様子、爆撃された市街、犠牲になった市民の姿は、心が痛む光景です。それにもかかわらず、今回もまた、アメリカとイラクの両大統領は、神の名、アッラーの名によって、「正義の戦い」を遂行しています。「今回もまた」と言ったのは、古今東西、人間が起こしてきたすべての戦争が、それこそ例外なく、神の名による「聖戦」であり「正義の戦い」だったからです。

  最近の新聞記事によると、このような「聖戦」思想は、神を軍神として描く旧約聖書に由来しているから、愛の宗教であるキリスト教は、旧約聖書から脱皮して、新約聖書だけを聖書にすればいいと提唱する、日本人神父の本が出版されたそうです。これは、歴史と文化を無視した読み方で、「正義の戦い」を主張する人々と同様、旧約聖書を誤解していると言わなければなりません。

    



   
私たちを支えてください、主よ、あなたの御言葉で。
そして教皇とトルコ人の殺戮を制御してください。
彼らはあなたの御子、イェス・キリストを
その御座より突き落とそうとしています。


   これは、1543年にマルティン・ルターが作詞したコラールです。このコラールに基づいて、1725年にJ. S. バッハは教会カンタータ(BWV 126)を作曲しました。16世紀中葉、ヨーロッパは、ルターの宗教改革以後、各地で起こったカトリックとプロテスタントの宗教的対立で揺れ、他方、ウィーンまで到達したオスマン・トルコ軍の侵攻を防ぐのに大わらわでした。ルターにとって、ローマ教皇とイスラム教徒のトルコ人は、プロテスタントの信仰を守る人々を滅ぼそうとする悪魔の化身でした。当然、ルターは彼らの撃退を神に祈ったのです。 同様に、旧約聖書には、古代イスラエル人が近隣諸民族と戦いながら、必死になって民族のアイデンティティーを守った歴史が記録されています。彼らは神の名によって戦い、勝ったときは神に守られたと思い、敗けたときは神意に背いたと考えました。これは、すべての古代人に共通する考え方です。

   


   人間の歴史は戦争の歴史です。ナザレのイェスがキリストである、という証言を集めた新約聖書とは違って、イスラエル/ユダヤ民族の歴史を記録した文書を中心とする旧約聖書に、戦争に関する記述が多いのは当然です。しかし、旧約聖書は決して「聖戦」を奨励しているわけではありません。むしろ、人間は戦争をする生物だという、長い苦難の歴史を通じて得た謙虚な認識から、神の支配下に戦争がなくなる日を待望する信仰を育んだ書物なのです。

   新約聖書と共に、このような旧約聖書に、古代、中世、バロック時代を通じて、教会音楽の歌詞は深く根ざしています。ですから、何のためらいもなく、呪い、怒り、恐怖、苦難、戦争などを描きます。祝福、慈愛、平和の深い喜びを歌うためです。

   バッハの音楽も同じです。それは、悪魔、地獄、罪、戦争などを、気味悪い、むかむかするような不協和音で示した後、初めて私たちを、天国の完全に調和した甘美な響きの中に導き入れてくれます。

   


  バッハの森に集まる私たちは、5月5日に、平和を願う熱い思いを託して、「降誕・受難・復活」というテーマの教会音楽コンサートを開きます。多くの皆様のご参加をお待ちしております。地には平和!

(石田友雄)


REPORT/リポート/報告

バッハの森創立記念日(3月21日)「受難物語」

深さに感動し、重さに圧倒された60分

春の大祭、復活祭に先立つ1週間が受難週です。キリスト教徒は、この1週間、イェス・キリストがエルサレムで過ごした最後の出来事を記念して、特別な宗教行事を行ってきました。
 特に、木曜日の「弟子たちの足を洗ったイェス」「最後の晩餐」、「ゲッセマネの祈り」、金曜日の「大祭司の尋問」、「ローマ総督ピラトの裁判」、「十字架を負って刑場に向かうイェス」、「ゴルゴタの丘で十字架にかけられたイェス」「十字架の上で息絶えたイェス」、「十字架から取り降ろされ、墓に埋葬されたイェスの亡骸」など、一連の出来事を収録した「受難物語」が、4つの福音書により、それぞれ、少々相違する伝承に基づいて報告されています。
 この「受難物語」を受難週に朗読する習慣は、恐らく初代教会以来、守られてきました。中世には、イェス、大祭司、ローマ総督などの「受難物語」に登場する人物と、物語の筋を語る「福音史家」の箇所を、それぞれ別の朗読者が朗読するようになりました。この朗読形式に基づいて、受難劇と受難曲が成立しました。
 同時に、イェス・キリスト受難の各場面は、宗教画の重要なモチーフとなり、多数の名画家によって、教会の祭壇、壁面、天井などに描かれてきました。
 このように、イェス・キリストの受難は、「受難物語」に基づく音楽、絵画、彫刻など、多数の芸術作品を生み出してきました。受難はキリスト教芸術の中心的モチーフなのです。

  今年の創立記念日に、私たちは「受難物語」の多角的な発表に取り組んでみました。まず、1530年頃、ゼバルト・ハイデンが作詞した受難のコラール「おぉ、人よ、なんじの罪の大いなることを嘆け」の翻訳に基づいて、独自の「受難物語」を作り上げました。このコラールは、プロローグ(1節)とエピローグ(23節)の間、2節から22節まで、イェス・キリストの受難と復活を語る歌詞で構成されています。旋律は1525年に、ジュネーヴ詩篇歌に基づいて、マテウス・グライターが作曲したドイツ語訳詩篇歌からの借用です。
 私たちは、1節と23節を、J. S. バッハの単純4声(BWV 402)で歌い、2節〜22節を、各登場人物と福音史家(2人)の分担で朗読しました。この間に、イェスが逮捕され、大祭司邸に連行されたところで、コラール「私たちに祝福を賜うキリストは」の1節を、J. S. シャインの単純4声で歌い、バッハによる同じコラールのオルガン編曲(BWV 620)を演奏しました。  次にイェスが十字架につけられる場面の前に、コラール「おぉ、神の小羊、罪なく」のバッハのオルガン編曲(BWV 618)とシャインのソプラノ2重唱を挿入し、イェスの亡骸を十字架から取り降ろして埋葬する場面の前に、バッハのシンフォニア(BWV 156/1)を、ハンドベルとチェロとオルガンで演奏しました。
 また朗読の進行に合わせて、それぞれの場面を描いた約60枚の宗教画のスライドを映写しました。スライドは、ジオット、フラ・アンジェリコ、ブリューゲル、グレコなど、ルネサンス・バロック時代の名画家の作品から選びました。
 最後に、バッハのオルガン編曲で、コラール「おぉ、人よ、なんじの罪の大いなることを嘆け」(BWV 622)が演奏されました。
 約60分にまとめた発表を通して、「受難物語」の内容と、この物語をめぐる音楽と絵画の深さに感動すると同時に、その重さに圧倒され、私たちの表現力がまだまだ不十分であることを痛感しました。



最後に、この発表を鑑賞してくださった皆さんからいただいた感想の一部をご紹介します。

・心豊かな時が与えられました。涙が溢れました。目と耳から身体に入って来る音は感動でした。
(栃木市 Y. S.)

・初めて参加させていただきました。とてもすがすがしい気持ちで、楽しい時間を過ごしました。美しい歌声、オルガン、ハンドベルとチェロの音に感動しました。
(土浦市 K. K.)

・ハンドベルの演奏が素晴らしかった。ゆったりしたチェロとオルガンに支えられて、ベルを鳴らしている人たちは大いに乗って演奏していた。余韻があった。
(つくば市 T. D.)

・初めて参加させていただきました。大変すばらしい演奏でした。あれだけ出来たらどんなに楽しいことだろうと、まだ余韻に浸っております。お気に入りのバッハのオルガン曲、「おぉ、神の小羊、罪なく」(BWV 618)と「人よ、なが罪の大いなるを嘆き」(BWV 622)も聴かせていただくことができて大満足です。これから、一度でも多くの会に参加できるよう心がけます。今から5月5日の教会音楽コンサート「降誕・受難・復活」が楽しみです。
(茂原市 K. O.)




たより

3月6日、東京都台東区
 石田一子様
 もうすぐそこまで春が来ていますのに、まだ東京には冷たい風が吹いています。私もいつの間にか米寿になり、30余年前に始めたボランティアの会の会長も退き、余生を楽しんでおります。あの田んぼの中のパイプオルガンのある奏楽堂を、ご夫妻で立派に守っておられることと思います。お仕事のためほんの少々ご寄付申し上げます。お二人とも、どうぞご長寿くださいませ。

(矢野益子)

3月19日、ヒューストン
 石田友雄様、一子様
 日本もだいぶ暖かくなってきた頃かと思います。いかがお過ごしでしょうか。先日はお目にかかれて嬉しかったです。バッハの森の安らかで豊かな空気の中で素晴らしい時間を過ごしました。美しいオルガンの音色も忘れられない思い出です。貴重なお時間をとってくださって本当にありがとうございました。
あれから、ジョンと私はカリフォルニア州立大学で行われたバッハ・フェスティヴァルに参加してから、ヒューストンに戻ってまいりました。フェスティヴァルでは、クリストフ・ヴォルフ教授と交わり、非常に楽しい充実した学びの機会を与えられました。ご存知のことかもしれませんが、とても興味深かったレクチャーの一部をご報告します。
 C. P. E. バッハの死後、彼の蔵書をフェリックス・メンデルスゾーンの父アブラハムが買い取り、ベルリン・ズィング・アカデミー図書館に寄贈した。これを第2次大戦末期に、ドイツ政府が疎開したが、赤軍が持ち去り、その後50年以上も消息が絶えていた。1999年にウクライナに謎の音楽図書があるという情報を得たヴォルフ教授はキエフに飛び、それが問題の蔵書であることと、約5200点の楽譜の中、十分の一がバッハ家の音楽家の作品であることを確認した。現在、カタログを作成中。近い将来、これらの作品の演奏を聴くことができるだろう。楽しみです。
 発見された楽譜の中にあったC. P. E. バッハの「マタイ受難曲」の演奏もありました。当時の牧師の注文に従い、約1時間の小規模な作品に仕上がっています。規模とロココ調のアリアを除けば、極めて大バッハのものに似ているというのが、私たちの印象でした。それにしても、300年以上も演奏されなかった曲を聴くことができたのは光栄でした。(そのプログラムを同封します)。またお目にかかれる日を楽しみにしております。
どうぞお元気で。

(志賀菜穂美)

3月21日、東京都杉並区
 祝・バッハの森創立記念日
 石田友雄先生+一子先生、ならびにクワイアの皆様
 だいぶ春めいてきました。今日は春分の日ですね。私はここ数日、バッハの「ロ短調ミサ曲」に取り組んでいます。明日の公演に向けて、今日もリハーサルなので、残念ながらバッハの森には伺えません。
 このミサ曲が、その辺のミサ曲をはるかに凌いでいることは言うまでもありませんが、プロテスタントであるバッハが、なぜカトリックのミサを、ここまで大宇宙的な作品に極めたのか、ずっと疑問でした。でも、この作品を演奏していると、バッハがいかにテキスト一つ一つにこだわって表現しようとしたのか、そのことを通して神の摂理を音楽で表わそうとしたのか、と強く思います。暗唱されたお経のように、きっと面白くなく唱えられるだけになっていたであろうミサ式文が、これほどまでに音楽的に高められ、生き生きと魂に響いてくるとは...。目に見えないものを手にとるように感じ、降り注ぐ恵みの露を感じ、身体と魂が震撼しているのを覚えます。あたかも神が、自らを讃美するために、バッハにこの作品を書かせたのではないのか、とも思ってしまいます。
 奇しくも戦争が勃発し、"Et in terra pax"(地には平和)や終曲の"Dona nobis pacem"(我らに平和を与えたまえ)は、単に音楽という範疇を超えて、現代に生きる私たちの魂の叫び、祈りとなって表わされます。そこでは演奏する者も聴く者も、全ての者が「祈り」を共にするのです。
 世界のあるところでは戦争が起きているのに、平和に長閑に音楽をしていられることは幸せなことだと言う人もいます。確かにその通りですが、私は逆にどんな状況にあっても音楽をし続けたいと思うのです。音楽は常に私たちに力と喜びを与え、しかもどんな状況にあっても神がそこにおられることを実感できるからです。「ロ短調ミサ曲」で私は絶え間なく通奏低音を弾き続けますが、バッハが書き残したものを一つでも見落とさないように、自分の目と耳をしっかり開いていようと思います。
 本日、皆様が歌われる、バッハの「ヨハネ受難曲」のコラール、どうかしっかりと歌ってください。心地良い音の羅列ではなく、上手い下手の技術でもなく、その奥に秘められた偉大なるメッセージを伝え、また一人一人がその役割を担っていることを覚えて歌われますように。S. D. G. (神にのみ栄光あれ)

(和田純子)


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