バッハの森通信 第86号 2005年1月20日発行

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巻頭言

 人の命は何ものにも代え難く尊い

この理念を実現するために

 今年のお正月は、「新年おめでとうございます」と、素直に賀詞を述べることを躊躇するほど、スマトラ沖で年末に起きた大地震と、インド洋沿岸全域にわたる巨大津波の災害の大きさに、愕然としています。死者だけで15万人以上と伝えられ、連日テレビで放映される被災地の惨状を見ていると、多くの思いが心をよぎります。
 怒り狂った自然の恐ろしさ、一瞬にして生命を断ち切られた人々の無念、残された被災者がこれから一生負わなければならない重荷等々、あれこれ考えさせられますが、何と言っても、このような大災害がなぜ起きたのか、という疑問が頭から離れません。
 聞くところによると、インド洋沿岸のほとんどの地域は、大津波に対して全く無防備だったようです。防波堤もなければ、津波の早期警戒システムもなく、大地震が起きたら津波を警戒して海岸から高台に逃げなければいけない、という初歩的な教育すら行われていなかったそうです。そして、これほど無防備な状況が放置されていた原因は、大地震が滅多に起きないうえ、経済的発展から取り残された地域だから、と説明されていました。

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 「人の命は何ものにも代え難く尊い」という言葉をしばしば聞きます。私自身を含めて、“普段は”この言葉は本当だと誰しも思っています。しかし、これだけ多数の命が一瞬にして失われてみると、この言葉がフィクションだったことに気づきます。本当にそう思っていたら、何はさておき、地震・津波対策をしていたはずです。
 大災害が起きた後になって、世界各国は争って巨額の復興支援を表明しました。多分、この金額の半分、いや四分の一でも用いて予め対策を講じていれば、被害を十分の一か、それ以下に食い止めることができたはずです。 このような批判に対して、当事者も国際社会も、いつ起こるか分からない地震・津波に備える前に、限られた予算でしなければならないことが余りにも沢山あったからだ、と言い訳するでしょう。この言い訳は、「人の命は何ものにも代え難く尊い」という“たてまえ”を巡って、政治と経済が動いているわけではない、という現実をはっきりと示しています。現実の社会で、「何ものにも代え難く尊いもの」、実はそれは「人の命」、特に「他人の命」ではなく、自分の利益なのです。
 では「人の命」とは何でしょうか。具体的には、各人に与えられている、限定された「時間」だと思います。大災害に遭って命を落とした人には、そうでなければ、まだまだ長い「時間」をかけて果たすことができた数々のことがあったはずです。だから、その無念を思うと心が痛むのです。
 しかし、大災害というような“異常事態”に遭わない限り、“普段”私たたちは、地震・津波対策を怠っているように、「人の命は何ものにも代え難く尊い」という
理念も、自分に割り当てられた「時間」が、本当は限定されているということも、忘れて暮らしているのではないでしょうか。

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 今年、創立20周年を迎えたバッハの森で、私たちは、振り返って見ると、実にいろいろなことをしてきました。必ずしも成功しなかったことも沢山あります。しかし、そのすべては、一貫して、「人の命は何ものにも代え難く尊い」という理念を、思い起こし、実現するためのプログラムを創り出す努力でした。ようやく最近数年間、一定のコースを定着したメンバーと積み重ねることができるようになりました。
 具体的には、合唱、パイプオルガン、ハンドベル、研究会などによって、「人の命」を基本的なテーマとする音楽を学ぶ活動を活発に展開しています。そして、これらの活動の参加者は、それぞれ、生きている喜びを実感する「時間」を楽しんでいます。私たちの願いは、この喜びの輪が広がることです。(石田友雄)

REPORT/リポート/報告

メディタツィオ
平和を願う歌を歌ってみませんか

 このメディタツィオは、昨年12月12日に開催されたバッハの森のクリスマス・コンサートで朗読されました。

冬至に一番お迎えしたい方

 誰でも知っているように、12月25日はクリスマス。クリスマスは、イェス・キリストのお誕生を祝うお祭りです。「キリストのミサ」を語源とする英語の「クリスマス」ではよく分かりませんが、ラテン語では、「誕生」を意味する言葉で、ナティヴィターティスと呼びます。
 ところが、実はこの日付、12月25日は、イェス・キリストが生まれてから約350年後、西暦4世紀になって、初めて、キリスト教会が、イェス・キリストの誕生日として定めた日付なのです。歴史的には、イェス・キリストが、本当にいつ生まれたか、日付はもちろん、正確な年号すらはっきりしていません。
 キリスト教がまだ邪教として迫害されていた3世紀以来、ローマ帝国では、12月25日が、一年で最も昼が短い日である冬至と定められ、その日には、太陽神の復活を祈願するお祭が祝われてきました。古代の人たちが、暗くて寒い冬の日々が早く過ぎて、明るくて温かい春が巡ってくることを、どれほど切実に願っていたか、電灯の照明と贅沢な暖房に慣れた私たちには想像もつきません。ともかく、4世紀になって、ローマ帝国に公認された教会が、イェス・キリストこそ本当の太陽だ、と宣言して、12月25日をイェス・キリストの誕生日に決めました。
 ローマ帝国の政治的権威を後ろ盾にした教会の決定に、当時の人々が従ったことは不思議ではありません。しかし、その後間もなくローマ帝国は滅亡しましたが、それでも、人々は、12月25日にイェス・キリストの誕生日をお祝いしてきました。そして、ついには、キリスト教徒でもない日本人までお祝いしています。考えて見ると不思議な現象です。
 政治的権威や宗教的権威が、自分たちの都合に合わせて上から民衆に押しつけた決定は、いずれは廃れます。しかし、クリスマスを12月25日に定めたことを、民衆は心から受け入れたのです。何故でしょうか? それは、イェス・キリストという方が、或いは、イェス・キリストという方のイメージ、と言ってもいいでしょうか、暗くて寒い冬の日に、一番、お迎えしたい方だったからです。クリスマスにまつわる無数の美しい物語や劇、音楽や絵画が、温かい心、喜び、平和、というような思いをテーマに、2000年の長い歳月にわたって、語り伝え、歌い継がれてきたことは、何よりの証拠です。

この世に属さない国を求めて

 では、このようなイェス・キリストのイメージは、どこから生じたのでしょうか。それは、ナザレのイェスの弟子たちが経験した不思議な事件でした。
 イェスもその弟子たちも、ガリラヤ生まれのユダヤ人でした。当時、ユダヤとガリラヤは、ローマ人に占領されていましたが、この状況を不満とするユダヤ人の過激派が、しばしば騒乱を起こし、ローマの占領軍やローマ人に協力するユダヤ人支配階級を襲撃しました。当然、ユダヤ人民衆は過激派を応援していました。現在のイラクの情勢とよく似ています。
 このような状況の下に、ユダヤ人民衆は、世の終わりに神が派遣してくださる優れた軍事指導者が、奇跡的な力を振るって、ローマの占領軍を追い払ってくれる、と信じるようになりました。そして、この軍事指導者を、彼らは「メシア」と呼びました。「メシア」とは、かつてユダヤ人の王国を建国したダビデ王の子孫の称号です。
 ですから、彗星のように現れたナザレのイェスが、不思議な力によって病人を癒し、それまで聞いたことがない慰めの言葉によって、悩み苦しんでいる人たちを勇気づけると、彼の周りに集まった大勢の民衆は、彼こそ待望の「メシア」だ、と考えるようになりました。当然、彼の弟子たちは、いずれ彼が、占領軍に対する解放闘争を始めるものと期待していたようです。イェスがゲッセマネの園で逮捕されたとき、一番弟子のペテロが剣を抜いて抵抗したエピソードは、イェスの弟子たちが、武装していたことを伝えています。
 しかし、過激派のリーダーだという讒言を受けて逮捕されたとき、弟子たちや民衆の期待に反して、イェスは全く抵抗しませんでした。彼を尋問したローマ総督のピラトが、「お前はユダヤ人の王か」、すなわち、「ユダヤ独立運動の首領か」と尋ねると、イェスは、「私の国はこの世に属していない」と、ピラトには理解できない答えをしただけで、後は沈黙していました。結局、彼はローマ皇帝に対する反逆罪で死刑の判決を受け、辱めを受けたあげく十字架につけられ、最後は「なぜ神まで私を見捨てたのか」と叫んで死にました。
 ここで終わっていれば、彼は、一時、民衆の人気を集めて成功したように見えたけれど、結局、過激派にもなり損ね、名誉まで失って処刑されて終わった哀れな失敗者でした。しかし、この後で、誰も予期していなかったことが起こりました。一旦、彼を見捨てた弟子たちの眼が突然開かれ、「私の国はこの世に属していない」という彼の言葉の意味が分かった、と言い出したのです。この事件は、「彼が復活した」という超常現象で説明されていますが、その本当の内容は、ローマ人に対する憎悪とその報復に対する報復を繰り返す悪循環から、どうしても抜け出せなくなっていた彼らが、本当の平和を得るためには、イェスが目指していた、この世に属さない国、すなわち、「天の王国」の支配者に支配を委ねなければならない、という悟りを得たことに他なりません。

歌い継がれてきた平和の歌

 それまで、彼を「ラビ」、すなわち、「先生」と呼んでいた弟子たちは、彼を何と呼んだらいいか戸惑ったあげく、「天の王」とか「神」、或いは、「神の独り子」と呼び出しました。彼らはユダヤ人でしたから、森羅万象に神々の姿を見る多神教の「神」を意味していたわけではありません。彼らが「神」といえば、全宇宙を創造し、創造した宇宙を運営している唯一の神のことです。ですから、十字架にかけられ、全世界から見放されて死んでいったイェスを「神」と呼んだとき、この人の生き方と死に方が、憎悪と報復の悪循環から人間を解放して、この世界に平和をもたらし、人類を滅亡から救い出す本当の力だ、と理解したことを示しているのです。
 残念ながら、それから2000年たった現在、私たちはいよいよ憎悪と報復の悪循環から抜け出すことができなくなっています。しかも、この悪循環の果てに、人類の滅亡が迫っているという予感すら感じている始末です。やはり、ナザレのイェスは無力な失敗者だったのでしょうか。その弟子たちの悟りは絵空事だったのでしょうか。そうかもしれません。ただ、「私の国はこの世に属していない」と言って十字架にかけられて死んだイェスという人、その意味が分かった、と悟って、そのことを後世に伝えた人たちがいたこと、しかも、多くの人々が、毎年、暗さと寒さが極まった冬の日に、この人のことを、美しい物語や音楽で語り伝え、歌い継いできとことは事実なのです。
 私たちも、平和を願う歌を歌ってみませんか。「この世に属さない国」へ向かう道が見えるかもしれません。

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 このメディタツィオの朗読に続けて、バッハの森クワイアの皆さんが、J. S. バッハのカンタータ「天の王よ、歓迎いたします」(BWV 182)の終曲を合唱しました。

So lasset uns gehen in Salem der Freuden,
Begleitet den Konig in Lieben und Leiden!
Er gehet voran
und offnet die Bahn.

いざ我ら喜びのサレムへ行かん、
愛と苦しみの王に付き従いて。
彼は先立ち行きて、
(この世に属さぬ国へ向かう)道を拓きたまう。

         (石田友雄)

 日 誌(2004.7.6 - 10.15)

10.9 中止 台風22号のため全プログラムを中止。
11.4 見学 田中香織氏(コクーン)、他1名。
11.10 講演 石田友雄「ユダヤ人の創造性のルーツ」
   霞ヶ関ビル。情報通信国際交流会主催。
11.12 運営委員会 参加者6名。
11.19 取材 袴田実有子氏(NHK水戸放送局)、他1名。
11.25 TVデジタル放送電波テスト NHK水戸より3名。
11.26 出版 石田友雄『聖書を読みとく』草思社
11.27 取材 原正彦氏(エリート情報社)。
11.28 親子で楽しむクリスマスの歌 13名。
12.4 掲載  バッハの森のクリスマスについて『エリート情報』1面
12.5 親子で楽しむクリスマスの歌 13名。
12.10 運営委員会 参加者6名。
12.12 クリスマス・コンサート 66名。
12.18 クリスマス物語 参加者30名。
クリスマス祝会 参加者32名。
12.22 TVデジタル放送 「いばらきわいわいスタジオ」
  (NHK水戸放送局)。参加者16名。
12.29 冬期休館始まる。

教養音楽鑑賞シリーズ
「J. S. バッハの宗教音楽」

10.16 第124回(三位一体後第10主日)、
 カンタータ「主よ、あなたの眼は信仰を顧みる」(BWV 102);
 オルガン:J. S. バッハ「天の王国にいます私たちの父よ」(BWV 636, 737);
 古屋敷由美子。参加者:17名。

10.23 第125回(三位一体後第16主日)、
 カンタータ「来たれ、甘い死の時よ」(BWV 161);
 オルガン:J. S.バッハ「心よりわれ慕い求む」(BWV 727);西澤節子。
 ハンドベル:「同上」;石井和子、伊藤香苗、岩渕倫子、
 金谷尚美、熊谷徹、横田博子。参加者:17名。

10.30 第126回(三位一体後第19主日)、
 カンタータ「私は惨めな人間、誰が渡しを救うだろうか」(BWV48);
 オルガン:D. ブクステフーデ「主イェス・キリストよ、私はよく知っています
 (BuxWV 193) ;金谷尚美;
 声楽アンサンブル:J. S. バッハ「主イェス・キリスト、唯一の慰めよ」(BWV 48/7);
 伊藤香苗、熊谷徹、除淑子、比留間恵、深谷律雄、別所直樹。参加者:13名。

11.6 第127回(三位一体後第21主日)、
 カンタータ「神がなさること、それは善いことです」I (BWV 98);
 オルガン:J. S. バッハ「同上」(BWV 1116);伊藤香苗。

11.13 第128回(三位一体後第24主日)、
 カンタータ「おぉ、永遠よ、あなた、雷の言葉よ」I (BWV 60);
 オルガン:J. G. ヴァルター「同上」;古屋敷由美子。
 参加者:15名。

11.20 第129回(三位一体後第25主日)、
 カンタータ「あなた、平和の君、主イェス・キリストよ」(BWV116);
 オルガン: J. B. バッハ「同上」;石田一子。参加者:19名。

11.27 第130回(アドヴェント第1主日)、
 カンタータ「お前たち、喜んで高く舞い上がれ」(BWV 36);
 オルガン: J. S. バッハ「いざ来たりたまえ、異邦人の救い主よ」(BWV 659) ;
 海東俊恵。参加者:15名。

学習プログラム
宗教音楽研究会 10.28/8名、11.25/9名。
コラール研究会 10.28/5名、11.11/5名、11.25/5名。
教養講座:聖書を読む 10.21/5名、10.28/8名、
 11.4 /7名、11.11/6名、11.18/6名、11.25/7名、
 12.2/7名、12.16/5名。
バロック教会音楽研究会 10.29/10名、11.12/9名、
 11.26/9名、12.10/10名。
バッハの森クワイア(混声合唱) 10.16/18名、10.23/
 18名、10.30 /16名、11.6/22名、11.13/15名、
 11.20 /19名、11.27/17名、12.4/20名、12.11/20名。
声楽アンサンブル 10.16/11名、10.23/9名、10.30 /10名、
 11.6/15名、11.13/12名、11.20 /12名、
 11.27/11名、12.4/15名。
バッハの森ハンドベルクワイア 10.16/6名、10.23/8名、
 10.30 /5名、11.6/8名、11.13/7名、11.20 /8名、
 11.27/8名、12.4/8名、12.11/8名。
パイプオルガン教室 10.20/2名、10.21/3名、10.22/3名、
 10.27/2名、10.29/4名、11.5/3名、11.9/5名、
 11.11/3名、11.12/4名、11.19/3名、11.24/6名、
 11.26/4名、12.3/3名。
声楽教室 10.16/4名、10.23/4名、10.29/4名、
 11.6 /2名、11.12/5名、11.13/2名、11.19/2名、
 11.26 /4名、11.27 /2名、12.4 /4名、12.5/2名、
 12.10 /2名、12.11 /2名。

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寄付者芳名(敬称略日付順)
2004.10.6 - 12.24 3名の方々から計35,000円のご寄付をいただきました。

建物修繕費用・積立会計
2004.10.6 - 12.24 27名の方々から計114,127円のご寄付をいただきました。

学習プログラム参加者暖房費会計
2004.10 - 12 17,950円のご寄付を、学習プログラム参加者の皆様からいただきました。