バッハの森通信 第89号 2005年10月20日発行

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巻頭言

 バッハの森で燃えてみませんか?

  平和な繁栄する日本で“生き生きと”生きるために

 酷暑が続く夏でした。しかも、台風、ハリケーン、集中豪雨などが世界各地を襲い、大水害を引き起こしました。このような荒れ狂う自然を異常気象と呼びますが、考えてみると、ほとんど毎年、世界中どこかが異常気象に見舞われています。こうなると、もはやこれが“通常”な気象なのかもしれません。
 話は飛びますが、最近読んだ論考によると、今、日本には、400万人以上のフリーターと80万人以上のニートがおり、毎年3万人の自殺者が出ているそうです。しかも、大多数のフリーターとニートは20代の若者だと言います。この社会現象は“異常”なのでしょうか。それとも、これだけ多数の人々が関わっているなら、“正常”と見なすべきなのでしょうか。
 気候の問題なら、大水害が起こる夏が“通常”になった、と言う表現も可能です。“通常”か“異常”かの尺度は頻度数だけだからです。しかし、人間が関わる社会現象となると、たとえフリーターとニートの人数が2倍に増えたとしても、これを“正常”の社会状況というわけにはいかないでしょう。人数とは無関係に、果たしてそれでいいのかという疑問を、誰でも持つからです。

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 今年の夏、8月15日前後は、終戦60周年を記念する思い出や発言がマスコミを賑わしました。わたしも、13歳、中学2年生だった自分の終戦体験を思い出しました。60年前の8月15日も暑い日でした。疎開先で大人たちとラジオの前に集まって、正午に昭和天皇の放送を聞きましたが、ラジオがピーピーキューキュー言うので、よく聞き取れませんでした。でも「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え」というくだりは聞いた覚えがあります。誰かが「負けたんだ」と言ったので、やっと戦争に負けたと分かった始末でしたが。
 それからすぐ、東京・世田谷の自宅に戻ると、東京には食べるものが全くありませんでした。「もうお米もおいもも何もないのよ」と母が言う日々が続いたことを覚えています。それでも生き延びたのは不思議です。母はその年の暮れに力尽きて亡くなりましたが。
 終戦体験を持たない世代の皆さんは不思議に思うかもしれませんが、このような戦争と窮乏の極限状況を生きていたとき、これが“異常”だとは思っていませんでした。戦争をするとか、食い物を探すとか、差し迫った単純な目標があったため、みんな“生き生きと”生きていたのです。

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 「現在の日本の平和と繁栄は、先の戦争で亡くなった方々の犠牲の上にあることを覚えて感謝し・・」と、終戦60周年記念行事で、人々は口を揃えて言っていました。全くその通りなのですが、「平和と繁栄」の時代を生きることが、戦争と窮乏の時代よりもっと難しいことだ、とは誰も言いませんでした。
 平和な繁栄する日本には、フリーターやニートに分類される、正業につかず、家庭を持つ意志もなく、何の目的も持たずにその日暮らしをしている若者の人口が急増しているそうです。これに反して、戦争中、勝つか負けるか、死ぬか生きるか、という極限状況を必死に生き抜いていた人々は、“生き生きと”生きていました。だからと言って、戦争することがいいはずはありません。問題は、平和と繁栄を享受する社会で、どうしたら“生き生きと”生きることができるか、ということです。
 この問題は、命を燃やす対象を見つけなれば解決しません。それは、誰にも選択の余地がなかった戦争とは違って、各自が自分で探さなければならない課題なのです。だから難しいのです。ここでヒント。バッハの森では、数千年にわたって、人々が命を燃やし続けてきた音楽を学んでいます。だから、バッハの森で、あなたもあなたの命を燃やすことができるかも知れません。(石田友雄)

R E P O R T/リポート/報告 

バッハの森に参加して

学ぶ喜びと感動を伝える声

土曜日の楽しいフルコース

 バッハの森には、水曜日から土曜日まで、興味深く、魅力的な学習コースがいろいろある。でも私は横浜の住人。そこで必然的に土曜日にまとめて学ぶことになる。この日は、午後1時に始まる声楽の個人レッスン(隔週)に始まり、夜9時半に終わる「声楽アンサンブル」まで、どっぷりと教会音楽に浸る。バッハの森が夏休みをする7月〜8月の2ヶ月間、バッハの森奏楽堂でのみ味わえる音の空間が恋しく、9月に皆んなと再会したときは、思わず「今学期もよろしく!」と挨拶してしまった。以下、私が参加している各コースの内容や雰囲気をほんのさわりだけご紹介する。

1時限目:声楽レッスン
 前半は発声練習、後半は課題曲の練習。いつも自分で選んだ曲を歌っているわけではなく、やはりそのシーズンのテーマに合わせた曲を学ぶ。なぜなら、バッハの森では、各シーズンの節目節目に一定のテーマの下に構成されたコンサートがあるからだ。この春のシーズンからは、パイプオルガン教室でオルガンを学んでいる方々が参加して伴奏してくださるので、合わせることや間合いの取り方も学べる。それに良い気分にさせてもらえる。“比留間先生”(と呼んだことはない)講師の恵さんは、各人が自然体で美しい響きを出せる発声方法を、いろいろと考えてくださる。彼女の熱心な指導のお陰で、最近、私も歌うとき喉から音を出すしているという意識がなくなってきた。

2時限目:ハンドベルクワイア
 ハンドベルは、簡単なように見えても、音楽的な音を出すためには一音でも難しく、わずか一年前から参加し始めた私は、まだまだ初心者だ。バッハの森のハンドベルクワイアでは、ただ楽譜通りに音を出すのではなく、コラールの歌詞に沿って演奏しなければならない。そのためには、歌と同様、息使いが大切だということが分かった。一子先生の厳しくも優しいご指導の下、透明な響きに包まれた優雅な時がゆったりと流れている。

3時限目:クワイア(混声合唱)
 今シーズンは、バッハのカンタータ「キリストを我らいざ誉め称えん」(BWV 121)とヴィクトリアのミサを学んでいる。カンタータの元歌のコラールの、そのまた元歌のラテン語聖歌は、5世紀から伝わる旋律で、心に染みいるメロディーだ。家でもふと口ずさんでいたり、職場でも気がつくと、この旋律が頭の中で踊っている。バッハの森の音楽は「初めに言葉ありき」だ。これは他の合唱団では体験できないことである。そこで、合唱練習の際に、必ず歌詞について友雄先生の短いレクチャーがある。私も含めて、メンバー全員、昔に比べればはるかにすらすらとドイツ語の歌詞を朗読することができるようになったと思う。いつも和やかな雰囲気の中でクワイアの時間は終わる。

4時限目:コラールとカンタータ
 合唱が終わって短い休憩の後で、バッハが教会歴に従って作曲したカンタータを、出来る限りその教会歴通りにCDで鑑賞する会がある。今年で4年目、毎週毎週、これまでに百数十曲のカンタータを鑑賞したお陰で、伝統的な教会歴の季節感が味わえるようになった。ほとんどすべてのカンタータにはコラール(会衆歌)がついている。そこで、毎週、いろいろなコラールを、友雄先生のオリジナル日本語訳で歌う。同じコラールの訳が年々進化していくのが面白い。毎回、当番のオルガニストがコラール編曲とコラール伴奏を弾き、ときに私が参加しているハンドベルや声楽アンサンブルの出番があり、こういう週はちょっと緊張する。

ディナータイム:声楽アンサンブル参加者の夕食会
 手造りのお弁当、買い出しのお弁当、はたまたバッハの森のキッチンでさっと調理したものなど、持ち寄ったお弁当を、お互いに味見したり、楽しいおしゃべりに時を過ごす。私は食べるのが遅いから、口にチャックすべきだが、みんな楽しいおしゃべりにふけり、ついつい次の声楽アンサンブルの開始時間が遅れがちだ。

5時限目:声楽アンサンブル
 クワイアで歌う曲の予習や復習が多いが、クワイアよりさらに詳しく学ぶことができる。クワイアの男声メンバーは、ほとんど全員参加している。人数が少ない分、一段と和やかに、しばしば笑い声がはじけるが、音楽造りについては、全員で言いたいことを言い合っている。たまに誰かが遊びで持ってきた曲を、皆で“即興演奏”することもある。

 このように、毎週、土曜日の午後、たっぷり音楽を楽しみ、高揚した気分で家路につく。バッハの森では、指揮者もオルガニストも、みんな“お仲間”という感覚でつきあっているから、私にはとても居心地がいい。最近は、何人かの“お仲間”とコンサートに出かけたり、はたまた“山岳クラブ”を結成してハイキングに出かけたりするようになった。
 まだバッハの森に来たことのない皆様、どうかお気軽にご参加ください。(三縄啓子)

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皆で音楽作りをする楽しさ

 子供の頃は歌が好きなのに、ちょっとした悪い思い出のために、いつしか音楽から距離をおいてしまったという人が、大勢いるのではないでしょうか。かく言う私も音楽を自分で学ぶ力がなかったので、どうすれば音楽ができるか分からないまま時を過ごしていました。そんな折りにバッハの森と出会えたのは幸運でした。
 バッハの森クワイア(混声合唱)では、いつも曲のテーマをメンバー全員で共有して演奏に取り組みます。決して急がずドイツ語やラテン語の歌詞を反復練習しますから、調和した自然な形で歌詞と音楽を結びつけて歌えるようになります。ドイツの伝統的宗教歌であるコラールの各節は短いのですが、そこには長い歴史を通じて歌い継がれてきた思いがあります。それは、根元的に人間とは何かということを考え、理解しようとする歌ですから、こんなにも愛おしいのでしょうか。そこには、言葉を超えた感動があります。
 ハンドベルによるコラールの単旋律の演奏には、当然、歌詞も和音もついていません。しかし、歌詞を理解して演奏すると、リンガーズ(ハンドベル演奏者)の思いがはっきりと伝わります。音楽とはこういうものだったのか、という発見とともに、言葉を伴った音楽が確実に機能していた時代があったことを感慨深く思います。 
 バッハの森に来て、オルガン・コラールやカンタータなどの多声曲の音楽の美しさが分かるようになりました。私にとっては、このような音楽の演奏に参加するのは、とても難しいことなのですが、皆でよい響きを作り上げていく過程に参加していることは、この上ない喜びであり、その中で多くのことを学ぶことができました。
 初めて合唱に参加したときは、おかしな音ばかり出していました。それで「あのときは、どうしようかと思った」と指揮者に言われたことがあります。それでも私が参加することを厭わなかった皆様に心より感謝いたします。ですから、私より音楽が出来る方はもちろん、私同様音楽に自信がない方も、是非、バッハの森に来ていただき、多くの素晴らしい音楽や思いを感じていただきたいと願っております。(熊谷徹)

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バッハの森で育った息子

 去る7月末の夕刻、3歳の息子、潤也と一緒に、ぼんやりとテレビで子供番組を見ていました。それは子供が主役の番組で、歌、お芝居、ゲームと次々と場面が展開していきました。すると、「次は勝手議会です」というアナウンスで、次のコーナーが音楽と共に始まったとき、急に息子が私を振り返って叫びました。「バッカモリ!」
 我に返ってテレビを見ると、昔の音楽家のようなかつらをかぶった大人を真ん中に、子供たちが左右のテーブルについていて、バックにはバッハの森フェスティヴァルで5月に歌ったばかりのバッハのカンタータ「キリストは死の縄目につながれ」(BWV 4/2)が流れているではありませんか。
 その、子供の子供による子供のための議会の法案は、お母さんは3日続けてカレーを出してはいけない、といったものでしたが、その審議の際のBGMが、これまたワークショップのオルガン課題曲として私が練習していた、バッハのオルガン小曲集の同名の曲でした。このときも、私が気付く前に、息子は「アッ、ママノキョク」と叫んだのです。息子は、母の胎にいる頃からバッハの森に参加していて、合唱の練習のときには、隣室でシッターさんに見てもらい、アンサンブルのときには両親が交互に見ているのですが、まさに「門前の3歳児、習わぬバッハを聞き分ける」。それも「必死で練習したはずの母より早く」なのです。
 これは驚きでしたが、同時に嬉しい発見でした。そしてこんな空想をしました。年月が流れ、息子は大人になり、私はとうに他界。そんなある日、「キリストは死の縄目につながれ」の旋律を聴いた息子が、幼少のときに吸ったバッハの森の香りを思い出す。願わくは「勝手議会」のBGMとしてではなく、復活祭の歌として。そうなればいいのですが、果たしてどうでしょうか。
 蛇足ですが、「勝手議会」が、なぜバッハのカンタータ「キリストは死の縄目につながれ」(BWV 4/2)を選曲したのか推量してみました。多分、冒頭の荘重な音楽が裁判の判決という雰囲気と合っているからでしょう。それから駄洒落なのですが、ドイツ語の名称「クリスト・ラクイン(烙印)・トデス(死の)バン(判)デン」の「デン」を「デーン」と判をつく響きと考えれば、「死」と彫られた「判」がキリストの額に「デーン」と「烙印」された情景が連想されます。この情景は判決にぴったりです。でも、このような連想はバッハの森で学ぶ以前の私がしていたことです。もちろん、今は学習の結果、正しい意味を理解しているはずですが。(古屋敷由美子)

多くの方々と共感できる場

 今年の春、知り合いの方から、バッハの森を紹介していただきました。宗教音楽が学べること、前から読んでみたいと思っていた聖書の講座があること、おまけに昔から憧れていたパイプオルガンの初級コースもあるということで、早速入会させていただきました。
 初めに、何も分からないまま参加させていただいたのが、2泊3日のワークショップでした。十代から声楽を続けてきた私にとっては、マインデルト先生の声楽のレッスンの聴講は、何よりも楽しみでした。最初は緊張しましたが、ユーモアがあり、明るい先生のお人柄に、緊張は少しずつほぐれ、心から楽しませていただきました。始終笑いがこぼれる楽しいレッスンでしたが、その中にも妥協を許さない、一本筋の通った音楽家としての姿勢を感じ、身の引き締まる思いがしました。
 コンサートでは、先生の歌の不思議な魅力に取り憑かれ、何とも言い難い感動を覚えると同時に、日本人が歌う宗教音楽とは違う何かを感じ、衝撃を受けました。この違いは一体何なのでしょうか。キリスト教国で育ち、そこで育まれた何かが、あの何とも言えない雰囲気を醸し出しているに違いないと感じました。
 そして、その答えは、バッハの森で学ぶ学びの中にあると確信し、今、受講しているところです。ですから、それぞれの講座が楽しみでもあり、喜びでもあります。
 聖書を読む会でも、オルガン教室でも、石田先生ご夫妻が繰り返し繰り返しおっしゃることは、「学んだことを自分の頭で考え、自分の言葉で語ること、つまり理解することが大切だ」ということです。書きとめたことや、丸暗記したことは、すぐに忘れてしまい、自分のものにはならない、というのです。確かに、自分の頭で考え、自分の言葉で語ることは、「難しい道」「細い道」(『バッハの森通信』第76号)ではありますが、本物の楽しさに出会うためには不可欠なことです。遅々たる歩みでも、じっくり腰を据えて、宗教音楽の醍醐味をもっともっと肌で感じられるようになりたいと思っています。
 私にとって以前から親しんできた、しかしバッハの森で新しく発見した宗教音楽を、石田先生ご夫妻をはじめ多くの方々と共感できる場が与えられたことは、嬉しいできごとです。この秋のシーズンからは、クワイア(合唱)にも入れていただきました。異文化のシャワーをたっぷり浴びて、よそ行きではなく、普段着の、天に届く魂の叫びを、素晴らしいハーモニーに乗せて実感できるかと思うと心が躍ります。あのユルゲン・アーレントのパイプオルガンの響きとともに。(三宅利子)

追悼の辞

バッハの森で燃えた命

 去る8月21日、村田明子さんが亡くなりました。
 彼女は、バッハの森が創設された翌年、1986年にバッハの森に参加した旧い仲間です。最初はハンドベル、その後、合唱やパイプオルガンでも活躍、更には運営活動にも積極的に参加してくださいました。彼女がきちんと整理してくださったハンドベルの楽譜やコンサートの録音テープが、今も多数残っています。
 残念ながら6年前に発病され、以後8回も大手術を受ける厳しい闘病生活をなさいましたが、ご病床からしばしばいただいたお手紙で、常に驚くほど前向きな明るい姿勢をお示しになったので、かえって私たちが励まされる始末でした。その1通を公表させていただきます。
 「長い間ご心配をおかけいたしましたが、入院して約3ヶ月半、昨日無事退院してまいりました。今回は抗ガン剤治療のあと手術と、少し辛い思いをいたしましたが、今回も何とか気力で乗り越えることが出来ました。11月頃にはもう一度右の肺を手術することが決まっていますが、それが終わればしばらく平穏な日々が送れるものと期待しております。博子さんと、来年になればハンドベルに復帰したいわね、と話しています。体力的にずっと続けられるかどうか自信はございませんが、お許しいただければ、もう一度ハンドベルを振ってみたいと思っております」
 彼女は、去年の夏、ご家族の皆様に支えられ、車イスを用いながらドイツ旅行に出掛け、バッハゆかりの教会や旧跡を訪問なさいました。この旅行の様子を伝えるアルバムをお通夜のときに拝見しましたが、写真の中の彼女は、本当に明るい、念願かなった喜びの表情を浮かべていらっしゃいました。
 同じお通夜で、御母上から、西宮の実家に戻って来ると、いつでも彼女は、バッハの森のことばかりしゃべっていた、とうかがいました。初めて聞くこのエピソードを、バッハの旧跡訪問の旅行アルバムを拝見しながら知らされたとき、最後の19年間、バッハの森で出会った音楽とその音楽にまつわるすべての思いに、彼女が命を燃やしていたことがよく分かりました。
 56歳という、これから活躍していただきたかった年齢の旧い仲間を一人失ったことは本当に残念ですが、バッハの森で命を燃やす喜びを彼女が発見してくださったことを知らされ、深い感動を覚えました。
 ご冥福を祈ると共に、ご遺族の皆様が彼女の明るい思い出によって慰められることを願っております。
   (石田友雄・一子)

日 誌(2005.7.1 - 10.1)

7. 2  ハンドベル調整 参加者6名。
7. 22 来訪 J. ホエラー氏夫妻(ルーテル教会ヒューストン・オルガニスト)、志賀洋子氏。
8. 5 相談会 ゲストハウス改造計画。参加者6名。
8. 20 来訪 斉藤秀夫氏(秀和不動産)、他1名。
8. 26 大掃除 ゲストハウス。参加者7名。
8. 29 外壁塗装、改装・補修工事開始。
9. 6  ミニ・コンサート 退職女教員・行方・潮来支部
 参加者27名、バッハの森より6名、計33名。
 写真取材 斉藤さだむ氏、他1名。『つくばアーキテクチャー・フォトファイル』のため。
9. 9 取材 竹岡昇氏(常陽リビング)。
9. 10 秋のシーズン開始
9. 17 掲載 「バッハの森創設20周年」『常陽リビング』。
9. 30 運営委員会 参加者6名。

J. S. バッハの音楽鑑賞シリーズ
「コラールとカンタータ」(JSB)
9. 10 第150回(三位一体後第8主日)、
 カンタータ「汝に告げられたり、人よ、何が善きことか」(BWV 45);
 オルガン:J. S. バッハ「主に向かいて我らは今」(BWV129/5)、石田一子。
 参加者:14名。
9. 17 第151回(三位一体後第9主日)、
 カンタータ「会計報告をなすべし。雷の言葉」(BWV 168);
 オルガン:J. G. ヴァルター「主イェス・キリストよ、恵の泉」、石田一子。
 参加者:18名。
9. 24 第152回(三位一体後第10主日)、
 カンタータ「されど目をとめて見るべし、かかる痛みありしや」(BWV 46);
 オルガン:J. G. ヴァルター「大いなる力の神」、金谷尚美。
 参加者:22名。
10. 1 第153回(三位一体後第11主日)、
 カンタータ「深い淵よりわれ汝を呼ぶ、主よ」(BWV 131);
 オルガン:D. ブクステフーデ「主イェス・キリストよ、われ真に良く知る」(BuxWV 193)、伊藤香苗。
 参加者16名。

学習コース
キリスト教文化入門 9. 15/8名。
入門講座:聖書と歴史 9. 15/8名、9. 22/6名、9. 29 /5名。
宗教音楽セミナー 9. 16/11名、9. 30/14名。
宗教詩を読む 9. 16/11名、9. 30/11名。
バッハの森ハンドベルクワイア 9. 10/5名、9 .17/8名、
 9. 24 /7名、10. 1/10名。
バッハの森クワイア(混声合唱) 9. 10/13名、9 .17/18名、
 9. 24 /21名、10. 1/17名。
声楽アンサンブル 9. 17/14名、9. 24/14名、10. 1/13名。
パイプオルガン入門コース 7. 6/2名、7. 13/2名、
 7. 27/2名、8. 6/2名、9. 14/4名、9. 21/4名、
 9. 28/4名。
パイプオルガン教室 7.7/4名、9. 8/6名、9. 9/ 2名、
 9. 15/7名、9. 22/6名、9. 23/2名、9. 29/6名。
声楽教室 9. 15/2名、9. 17/7名、9. 24/2名、9. 29 /2名、10. 1/3名。

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エピタフ

ユリちゃん、ありがとう、さよなら

 ユリちゃん、キミは1990年4月4日に、バッハの森の猫の間(マ)で、シャム系雑種のタンタンから生まれた。
 キミは利口なおしゃべりな猫だった。名前を呼ばれれば答え、部屋に入るときは必ず挨拶した。食事の後はいつも丹念に身体中をなめ回すきれい好きだった。キミの娘の黒猫マメと迷い子の雄猫ベンを従えて、猫家族を代表する威厳のある女主人として、規則正しく毎日3食餌を要求しにやって来た。去年からは山ほど食べても痩せる一方だったが、最後までしっかり食べた。狩りも上手で、可哀想な小鳥やもぐらを捕っては、うなり声を上げて獲物を見せに来た。今年の夏の暑さは、15歳の老体にこたえたようだ。犬のように舌を出して呼吸していたが、ある日、忽然と姿を消した。でも、それがキミの意志だったと悟ったので、もう探すのは止めた。
 ユリちゃん、15年間も、バッハの森の人間たちと遊んでくれて、ありがとう。さよなら。

寄付者芳名

2005.7.1 - 9.30
3名の方々から計13,700円のご寄付をいただきました。

建物修繕費用・積立会計
2005.7.1 - 9.30 
25名の方々から計250,000円のご寄付をいただきました。

地上権積立会計(敬称略日付順)

2005.7.1 - 9.30 
2名の方々から計200,000円のご寄付をいただきました。

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たより

童心に返り若返りました
       9月21日

 稲刈りも済み、すすきもなびく秋の訪れを感じる今日この頃です。過日(9月6日)は、平均年齢72歳の私たちが大勢でバッハの森におしかけ、素晴らしい音楽に接し、感動の時を過ごすことが出来ましたことを、厚く御礼申し上げます。
 短時間の訪問にもかかわらず、「ミニ・コンサート」のプログラムを作成していただき、なつかしい歌という私たちのリクエストに応えて選んでいただいた、「故郷」と「埴生の宿」を、皆、童心にかえって歌い、若返って帰宅いたしました。ハンドベルやパイプオルガンの演奏も素晴らしかったと、皆さん大変喜んでおりました。
 最後になりましたが、バッハの森の皆様もご健康で、益々御発展なさいますよう祈念申し上げます。
(行方市 退職女教員・行方・潮来支部 畠山文子) 

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普通に暮らせて申し訳ない気持ちです
      9月22日

 ご無沙汰しておりますが、9月から新学期(?)はいかがですか。先生方も、毎週バッハの森に通っていらっしゃる皆様も、また新たな気持ちでスタートされたことと思います。先日は「バッハの森通信」「秋のシーズンのご案内」などをお送りいただき、ありがとうございました。今年はニューヨークも暑い夏でした。早くさわやかな秋風が吹けばいいのに、と思います。
 南部のハリケーンの様子をテレビで見るたびに、私たちが普通に暮らせていることが申し訳なく思われます。こちらに来て丁度一年たちましたが、夫の滞在が延びることになりました。私は12月に一時帰国いたします。お身体をお大切に。
(ニューヨーク 奥園蘭子)

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すごい特別な世界をのぞきました
      9月28日

 この度は貴重なお時間をいただいて、主人と二人でバッハの森を訪問させていただき、ありがとうございました。
 ただ今、あの時撮った写真が出来上がって来ました。写真を眺め、東京はようやく暑さが去って秋らしくなって来たと思っていたのに、バッハの森の前の黄色く実った田圃は、もうとっくに秋だったんだなあと改めて季節の移ろいを感じとった次第です。広々とした自然に囲まれたバッハの森とそのお仕事の内実に触れて、石田さんご夫妻がお二人で本当に大変なことをしておられるのだと知りました。帰宅してから一週間ほどは興奮して、家でも教会でも、話題はバッハの森と石田さんご夫妻のことばかりでした。
 私は木の家が好きで、木工は大好き、古く汚れた木を磨くのが好きなので、お近くなら大喜びで20年たったバッハの森の木の建物を掃除に行きたいところです。しかし現実は週4日仕事に出ていますので、自分の家の方は片づけも下手、掃除もいい加減の落第主婦です。バッハの森の掃除にうかがうのは、夢の夢というところです。
 先日うかがったとき、主人と石田さんのやりとりを伺いながら、二人の学生時代の姿を思い浮かべ、懐かしく思いました。お話しのスピード感と打てば響く、深くて広いお話しの内容に、ついていくのがやっとでしたが、熱心に話し合う二人の情熱に圧倒されました。
 帰り途でも、帰宅してからも、いただいた「バッハの森通信」を読ませていただきましたが、何かすごい特別な世界をのぞいて来てしまった、そんな思いの数日でした。私は応援しか出来ませんが、どうか石田さんご夫妻のご健康を神様がお守りくださり、良いお働きを祝し、お支えくださいますように、心からお祈り申し上げます。
 わが家でも27年前につくばにうかがったときのアルバムが出てきました。あの頃はみんな若かったですね。その後いろいろありましたが、こうして元気にお目にかかれたことは感謝です。今度はそんなに長い年月がたたないうちに、パイプオルガンの音を聴かせていただけるようにと願っております。
 本当に楽しくて、有意義な時をありがとうございました。研究学園駅まで送迎をしていただき恐縮いたしました。
 今、もう一度写真を眺め直し、バッハの森の入り口に「聖書の国資料館」とあるのを発見してびっくりしたところです。単に「バッハの森」と書いてあるものと勝手に考えていました。それにしてもやはり「そこに歴史あり」ですね。震えがきそうな感動があります。
 本当にくれぐれもお身体を大切に。ありがとうございました。
(東京 粟野妙子)