去る3月15日に、バッハの森に、著名なスイスのチェンバロ/オルガン奏者、ジャン=クロード・ツェンダーを迎えて特別セミナーを開きました。その経緯については、本号6頁をご覧ください。
セミナーでツェンダーは、バッハのクラヴィア練習曲集・第3部の教理問答コラール(教会歌)から4曲を選び、演奏した後で分析してくださいましたが、その明快な響きと分析に誰もが深い感銘を受けました。しかも音楽的分析だけではなく、興味深いエピソードも紹介してくださいました。バッハがオルガン曲に編曲した6曲の教理問答コラールは、当時の小学校で、生徒たちが、毎日、月曜から土曜まで日替わりで1曲ずつ歌っていたというのです。月曜日は「十戒」、火曜日は「信条」、水曜日は「主の祈り」、木曜日は「洗礼」、金曜日は「悔い改め」、土曜日は「聖餐」のコラールというわけです。
教理問答とは、教育のために、Q & A の形式でルターが編纂したキリスト教入門書です。当時のドイツの小学校で、この教理問答を教科書にして子供を教育していたことは容易に想像できますが、その項目に沿ったコラールを子供たちが日替わりで毎日歌っていたとうエピソードから、私は大切なことを学びました。
* * *
それは、余りにも“当たり前”のことなのですが、ドイツ人でも、生まれながらキリスト教と教会歌(コラール)を知っているわけではないということです。すべては学習した結果、身につけた文化なのです。それにしても、小学生になった日から、毎日、日替わりで教理問答コラールを歌ったら、成人するまでには、さぞかしキリスト教とその教会歌が身に付いたことでしょう。
現代のドイツには最早ないそうですが、300年前のドイツ人がこのような宗教教育をしていたことと、そこからバッハのような偉大な音楽家が出現したことは、決して無関係ではないと考えます。コラールがバッハの宗教音楽の最も重要な土台になったのは、これほどコラールを歌って育った(バッハ自身もその一員だった)民衆がいたからに違いありません。言い換えれば、当時のドイツ人は(バッハ自身を含めて)、コラールという共通の魂の歌を持っていたのです。
* * *
時代も社会も文化も全く違う現代の日本で、バッハの森では熱心にコラールを歌っています。合唱だけではなく、オルガン、ハンドベル、弦楽のような器楽を練習する際も、コラール編曲を演奏するなら、まずコラールを歌うことにしています。
ただしバッハの森のメンバーは、大多数がキリスト教徒ではありませんし、たとえクリスチャンでも、子供のときから日替わりでコラールを歌っていた人はいないと思います。それに、誰にとってもドイツ語は難しい外国語で、すんなりと意味が分かる人はほとんどいません。
当然、何もそれほど無理をして、ドイツ・コラールを歌う必要はないだろう、という疑問が生じても不思議ではありません。しかし、バッハを頂点とするバロック時代の教会音楽に、他にはない感動を味わうと、その感動の原点であるコラールを歌わないわけにはいかなくなるのです。そうなると、ドイツ語もキリスト教も障害にはなりません。子供のときからコラールを歌ってこなかったことも、ハンディキャップと考える必要はありません。大切なことは、たとえ1週に1度でも、バッハの森に集まってコラールを歌い続けることです。そうしていれば、いつしかコラールが“自分の歌”になり、バッハの魂の響きと共鳴する喜びを味わうことができるはずです。いいえ、すでにバッハの森で私たちは、時々そのような幸福な経験をしてきたのではないでしょうか。
まだそこまでコラールが分からないとう方には、「音符は歌詞を生かす」というルターの名言を紹介しましょう。歌詞の意味が分からなくても、歌っているうちに、音楽がコラールの感動を伝えてくれる、という意味です。皆さん、バッハの森で歌うコラールの歌声に参加なさいませんか。本当に楽しくなりますよ。(石田友雄)
今年の春のシーズンは、3月21日に、バッハの森創立記念コンサート「受胎告知と訪問」、4月1日に、レクチャー・コンサート「受難の歌と詩」と、立て続けに二つのコンサートを開きました。それぞれのコンサート直後に、バッハの森に残っていた人たちが集まって、一緒に歌ったばかりのコンサートについて語り合いました。
司会 最初に、演奏する側で、バッハの森のコンサート
に初めて参加した方々の感想をうかがいましょう。い
かがでしたか。
A こんなに真面目に何かと取り組んだのは久しぶりな
のでとても緊張しました。(笑い)
B 奏楽堂の響きが素晴らしくて、大変楽しく歌うこと
ができました。
C 私も楽しく歌えましたが、やはりドイツ語で歌うこ
との難しさを感じました。
D ドイツ語の歌詞は、発音するだけでも難しいのに、
歌詞の意味を理解しないと歌にならない、と練習の時
に言われたことが分かったような気がしました。
司会 今日のコンサートの曲目の中では、H. シュッツの
「ドイツ語マニフィカト」が一番難しかったと思いま
すが、Eさん、どうでしたか。
E まだ「マニフィカト」が何を言っているのか、よく
分かりません。もっと勉強する必要があります。
F この曲をバッハの森で歌うのは3度目ですが、いろ
いろなことが、少しずつ分かって来たような気がしま
す。とにかく、幸せな気分で歌えました。
G バッハの森に参加してもう4年目ですが、ここで音
楽する楽しさとその難しさも分かってきました。今回
は特に、練習にきちんと参加しなければ、納得のいく
表現ができないことを痛感しました。
指揮者 確かに、歌詞の終わりの方で、「イスラエルを
助け起こし」とか「アブラハム」などという、なじみ
のない名前が出てきますから、本当は聖書を学ばない
と分からない内容ですね。でも合唱に関しては、シュ
ッツの曲でみんなの集中力が一番高まって良かったと
思いました。
H バッハの森では、教会音楽とそれを取り巻く西洋の
文化を宗教画まで用いて同時に学べるところが、素晴
らしいと思います。
J 今回は多数の新メンバーが参加してくださったので、
指揮者はまとめるのが大変だったと思いますが、これ
からもみんなで共に学びながら成長できることを期待
しています。
I 私は聴衆の側でしたが、合唱と弦楽アンサンブルが共
演して、バッハの「幸いなるかな、われ主を得たり」
(BWV 147/6)でコンサートが始まったので、華や
かな開幕を楽しむことができました。それに最後のオ
ルガン曲が素敵で、おなかが一杯になりました。
G 私は最後のオルガン曲、バッハの「マニフィカトに
よるフーガ」を聴いているうちに、ジーンとこみ上げ
てきてしまいました。
J 私もそうです。本当に素晴らしかった。
数人 同感!
オルガニスト それまでに「マニフィカト」を日本語の
歌詞で朗唱し、ゲズィウスとシュッツの編曲で歌って、
十分準備をした上でバッハを聴いたので、バッハがオ
ルガン曲を通して語ろうとすることが、皆さんの心に
響いたのではないでしょうか。
司会 今日のコンサートに参加した皆さんが、学び続け
ることの大切さを知ってくださったことを大変嬉しく
思います。有り難うございました。
* * *
司会 受難をテーマとする5曲のコラールを、その内容
について説明しながら演奏したため、予定の90分が
30分以上超過してしまいました。もっとも、わたし自
身「長いかな」と感じて腕時計を見たのは、最後の曲
になってからでしたが。
指揮者 いいえ、少しも長く感じませんでした。むしろ
だんだん受難物語の中に引き込まれていって、これで
は演奏できないと、ハッと我に返る瞬間がありました。
A それぞれのコラールの意味内容を理解した上で演奏
できたし、聴衆の方々も意味を知って聴くことができ
たので良かったと思います。
オルガニスト 私もレクチャーの間に十分に考える時間
があって、助かりました。
数人 同感!
B レクチャーや歌があって、そのコラールのオルガン
編曲の演奏を聴いていると、それぞれの情景が目に浮
かぶようでした。
C ところで、練習のときもリハーサルのときも、よく
「歌わないで語れ」と言われますが、いざ実行しよう
とすると難しいですね。どうしても“歌って”しまい
ます。
司会 その難しさ、分かりますが、バッハの森で歌った
り演奏したりしている宗教曲は、典礼歌はもちろん、
コラールも、本来、歌詞の意味を伝えることを第一の
目的にしている音楽ですから、やはり“語り”が先で
“歌”は後からついてくる音楽です。もっと“朗読”
や“朗唱”をしてみるといいかもしれません。
D プログラムが素晴らしかったと思います。
司会 実は、この5曲のコラールを並べてみて気付いた
ことは、バッハの『オルガン小曲集』の受難のコラー
ルの順序(BWV 618〜622)そのままだということで
した。偶然というより、内容を考えて並べると、どう
してもこういう順序になるんでしょうね。
E ハンドベルクワイアとしては、3月21日のコンサー
トの後、土曜日の練習が2回しかなかったので、準備
をするのが大変でした。 結果としては、「私たちに祝
福を賜うキリストは」の今日の演奏は、今までで一番
良かったのではないでしょうか。
F ハンドベルを振っているとき、金谷さんの“気”にと
ても助けられました。
オルガニスト そう、それがとても大切なことなんです。
もう何人か“気”を入れてくださる方がいると理想的
なんですけれどね。
G 「イェスが十字架につけられたとき」で、十字架上の
七つの言葉を一言づつ、聖書の関連個所の朗読の後で、
その個所に対応するS. シャイトのオルガン編曲が一曲
づつ演奏され、それからその節を斉唱しましたが、こ
の交唱は本当に素晴らしい経験でした。
数人 同感!
H このコンサートの演奏に参加して感無量です。恵さ
んの指揮がとても歌いやすかったし、一子先生のオル
ガンが素晴らしかった。よくあんなに長いプログラム
の間、緊張を保っておられるものだと感心しました。
オルガニスト 私も受難物語に引き込まれて、時々“天
国”に行きそうになって大変でしたけど。(笑い)
H 最後のオルガン曲、「おぉ、人よ、お前の罪の大いな
ることを嘆け」(BWV 622)は大好きな曲で、いろいろ
なCDを持っていますが、一子さんの演奏は一番好き
です。
I このコラールの最終節の言葉、「人よ、顧みよ」が、
よく伝わってきて、感動しました。
数人 同感!
J 私は聴衆の一人ですが、バッハの森の音楽は“本物”
だということが良く分かり、感動しました。“本物”と
は、今日演奏されたような教会音楽が、本来持ってい
た状況や雰囲気を、忠実に伝えようとする姿勢から生
じるのではないでしょうか。この点、先日、東京で聴
いた「マタイ受難曲」は、まさにコンサートホールの
演奏でした。バッハの森の音楽とは大違いです。
K 私はバッハの森に参加してまだ3ヶ月しかたっていま
せんが、今日は、レクチャー、オルガン、合唱の “三
位一体”を経験しました。これは、植物にたとえれば、
目に見えない根っこの部分がしっかり生きているよう
なコンサートだと思います。このようなバッハの森の
音楽を、もっと多くの方々に広く知っていただきたい
と願っています。
オルガニスト 良いことをおっしゃってくださいました。
ずっと考えて来たことですが、音楽は西洋文化という
土壌に咲いた美しい花です。異文化圏の日本に花だけ
切って持ってきても、すぐ枯れてしまいます。地味な
土造りから始めなければ、“本物”の花は咲かないで
しょう。バッハの森では、この“土造り”からしてい
るつもりです。今日の合唱を聴きながら、とても美し
い花が咲いたことを、大変嬉しく思いました。
司会 ある方々には、2週間前の「受胎告知と訪問」に
続く2回目、ある方々にとってはもう何回も参加して
きたバッハの森独特のコンサートでしたが、「受難」
という重い、キリスト教文化の中心を構成する“思い”
をテーマにしたコンサートを、皆さんと一緒に作り上
げることができました。内容の受け止め方は、それぞ
れの方の体験に応じて違ったでしょう。しかし、全員
で“感動”を共有できたと感じております。有り難う
ございました。
オルガニスト:石田一子 / 指揮者:比留間恵
司会:石田友雄
昨年の秋のシーズン以来、例年になく多数の方々がバッハの森の活動に参加なさいました。これらの新メンバーの中から、バッハの森で学ぶ面白さと難しさについて、2人の方がフレッシュな感想を寄稿してくださいました。
バッハの森で歌うようになってから3ヶ月が過ぎ、2回のコンサートを経験しました。きっかけは、ほとんど偶然です。たまたま読んだ地方紙に載っていたパイプオ
ルガンの写真が目にとまり、家からも近いので、音を聴きにいって見ようと思ったのが始まりです。
初めて訪れたクリスマス・コンサートは、宗教音楽や聖書の知識が乏しい自分にとっては、最初、何となく高尚で難しそうな印象でした。馴染みのないお話しや音楽を、どう受け止めたらいいか分からず、混乱していたと思います。しかし、木の温もりのあるホールに響くパイプオルガンや歌声の響きに、普段の生活とは違う、何か別の世界があると感じたことも事実です。特にパイプオルガンの印象は強く、荘厳だけれど怖いという、それまで抱いていたイメージとは違っていました。その響きが、何か大きな思いを持っているような気がしたのです。
勢いで、翌1月から始まった、クワイア(混声合唱)、ハンドベル、声楽アンサンブルに参加したのですが、始めてみてすぐ、聴くのとやるのでは大きな違いがあることに気づきました。普段、余り歌を歌ったことがなかったので、声はすぐ裏返るし、音程もとれません。さらに歌詞を理解して表現するように要求されると、それが大事なことは分かるのですが、そもそも歌っている宗教曲の歌詞そのものが曲者です。例えば、「罪」とか「救い」とかいう言葉が、感覚的にピンと来ない者にとっては、歌詞の内容をイメージしろと言われても、何を考えればいいのか分かりません。
こんな状態ではありましたが、すでに長いことバッハの森で歌っているメンバーの方々と一緒に練習を積み重ね、最後にコンサートに参加して歌っていたとき、ふと何かを垣間見ることができたような気がしました。頭で理解したというよりは、心で感じたという瞬間が何度もあったのです。この不思議な感覚の正体は、まだ分かっていません。もしかしたら、わたしたちが歌った音楽には、長い歴史を通じてこの音楽を歌い継いできた人たちの思いが宿っていて、その思いがわたしの心に響いたのかもしれません。
これほど長い間、ヨーロッパで歌い継がれてきた音楽には、日本で生まれ育ったわたしにはすぐに理解することができない“真実”があるはずです。それが分かるようになることは、とても素敵なことだと思います。今はやっと入り口に立ったばかりですが、この音の向こうに“何か”があるらしいと分かってしまったので、止めることはできません。少しずつでも、この“何か”を探し求めていきたいと願っています。(小保方智子)
* * *
「パイプオルガン入門」という小さな見出しを情報誌でみつけたのは、昨年の夏が終わろうとしていた頃でした。音大でチェンバロを1年だけ学んだ経験から、パイプオルガンも3ヶ月も学べば、何か得ることができるかしらと、気楽な気持ちで受講申し込みをしました。
ところが、一子先生のレッスンは、予想していたものとは全く違いました。まず学ばせていただいたことは、(バッハの森の中心テーマである)コラールのオルガン編曲を弾くにあたって、コラールの歌詞を読んで内容を理解し、コラールを歌うように演奏することでした。ちょっと弾いて聴かせてくださる先生の音楽が、本当に生き生きとしているのに感動してしまいました。先生の手は歌の息づかいを感じ取っていらして、まるで手が歌っているようでした。
曲を分析して、作曲家が何を表現しようとしたのかを探ることも、面白い発見でした。それに曲の内容に相応しい音栓を選ぶことは新鮮な体験でした。演奏に関しては、余りにも敏感に反応する鍵盤に苦しみ、背骨一本で体を支えて演奏することの大変さを知りました。またそれぞれの声部をきちんと聴き取れていない自分を改めて反省し、足でも歌っているオルガニストは本当に凄いと思いました。
毎週土曜日夕方の公開講座「コラールとカンタータ」では、オルガン教室で学ぶ方々の演奏を聴けるのが最初から楽しみでしたが、(教会暦に沿って取り上げられるカンタータの)内容とオルガン曲との関連性を把握できるようになるまでには時間がかかりました。
「ヨハネ受難曲」の講座では、友雄先生からその内容の深い解説があり、聖書や歴史を学ばせていただきました。聖書の解説をういかがい、今まで自分が持っていたキリスト教の概念が何度も覆えされました。私はプロテスタント系の幼稚園に3年間通い、「どうしてお父さんが空にいるのだろう」と不思議に思いつつ、主の祈りを毎日唱えさせられたのを憶えています。クリスマス劇では3軒目の宿屋のおかみさんになり、「馬小屋にどうぞ」と言って、マリアとヨセフを親切に案内しました。でも、処女だったマリアが聖霊によってみごもってイェスを生んだという物語と、その深い意味については、バッハの森で始めて聞きました。また、聖書には素晴らしい言葉と偉い人の話ばかり並んでいると思いこんでいましたが、キリストを裏切ったのはユダだけではなく、高弟のペテロを初め12弟子全員が、イェスを見捨てたというお話しをうかがって驚きました。キリストを主と呼ぶ弟子たちなら、十字架につけられたキリストの横に、12人が並んで十字架についても不思議ではないと、はなはだ日本人的な義理人情の観念で考えてしまいますから。
バッハの森では、ヨーロッパの宗教音楽の根源にあるものは何かということに気付かせていただきました。日本とヨーロッパの違いを知り、音楽を学ぶためには、もっとキリスト教や歴史を学ばなければならないということを痛感しております。(山崎智子)
* * *
去る3月15日に、ジャン=クロード・ツェンダーをバッハの森に迎えて、特別セミナーを開くことができました。これは、私にとって、全く信じられないような出来事でした。彼は、自分の置かれた場所に満足し、純粋に音楽を楽しんでいる、スイスの野山に咲き乱れる美しい花のような、その場で鑑賞しなければ意味がなくなってしまう存在だと、思い込んでいたからです。
このバーゼルの優れた古楽鍵盤楽器奏者と知り合ったのは、30数年前、1975年の夏のことでした。その4年前からエルサレムに在住していた私に、オルガニストの友人が、今、日本のオルガン界は、ハラルド・フォーゲルの“古典奏法”の話題で持ちきりだと知らせてくれました。それは、バッハ以前のオルガン曲を演奏するための独特の運指法のようでしたが、手紙の説明ではよく分かりません。そこで、ハイデルベルクに移住した年に、フォーゲルが主催する「北ドイツ・オルガンアカデミー」に参加して、直接自分で体験してみることにしました。
このアカデミーは、一言でいえば、それまでオルガン奏法に関して確信していたことすべてが否定されたような、衝撃的な数日でした。もちろん、運指法さえ変えれば、即“古典奏法”になるなどという生やさしい話しでもありません。これからどうしたらよいか、思い悩んでいたとき、アカデミーで出会った南アフリカのオルガニストが、バーゼルのツェンダーなら、きっと相談にのってくれる。彼のオルガン・リサイタルがあるから聴きにいってみたら、と勧めてくれました。それはバッハの18コラール全曲の演奏でした。最後のコラール、「汝の御座の前に我は進みいで」を聴いたとき、私は彼に教えを請う決心をしました。これほど静かな感動で終わるリサイタルを、それまで聴いたことがなかったからです。
リサイタルの後で、彼は私の願いを聞き、レッスンの約束をしてくれたので、ハイデルベルク滞在中の8ヶ月間、バーゼルまで足繁く通いました。その翌年帰国しましたが、その後も、彼が主催するアーレスハイムとムリの「オルガン週間」や、リヒテンシュタインの講習会などに受講生として参加しました。
これらのレッスンや講習会で彼から学んだことは何だったのかを、一言で語るのは大変難しいことです。敢ええて要約するなら、「息」、「レガート奏法」、「運指法」など、“古楽奏法”の基本と、バッハまでの古い音楽は、このような奏法で演奏しないと、作曲者の意図を再現することが難しいということを、現代奏法の教育を受け、実践してきた私に理解させようとしてくださったように思います。しかし、彼から学んだことを、単なる理論ではなく、本当に理解し納得するようになったのは、それから10数年後、バッハの森でアーレント・オルガンから学ぶことができるようになってからでした。
* * *
今回、ツェンダーの来日を知ったとき、すでに2週間の滞在中のスケジュールがほとんど決まっていたので、バッハの森まで来ていただくことは無理かもしれないと思いました。それでも、何とかバッハの森にご来訪いただけないか、と手紙を書いたところ、いとも簡単に快諾してくださいました。ただ、実際に来ていただく日時については、来日なさってから、いろいろとやりくりしていただいたため、最後の瞬間まで二転三転しました。そのため、毎週バッハの森に集まるメンバーの皆さんにしかお知らせできなかったのは、残念なことでした。
ツェンダーの来訪が決まってから、私たちは、宗教音楽セミナーで彼の論考:「バッハのオルガン用コラール編曲」の読書会を開き、彼のレクチャーを聞く準備をしました。これは、1985年にCDの解説として小学館が出版したバッハ全集に寄稿された論文で、以前、お願いしてドイツ語の原文原稿をいただいてあったものです。
その中の、特にバッハの象徴法に焦点をあわせ、クラヴィア練習曲集・第3部から4曲の教理問答コラールを、実に明快な楽曲分析と、分析通りの感銘深い演奏で聴かせてくださいました。彼の解説と演奏から、私自身、再び多くのことを学びましたが、同時にバッハの森のオルガン教室の皆さんと、アーレント・オルガンを師として学び続けてきたことが、間違っていなかったことを知らされたことは、大きな喜びでした。(石田一子)
* * *
1. 12 春のシーズン開始
運営委員会 5名。
2. 9 運営委員会 6名。
2. 28 バッハの森セミナー 柏市田中近隣センター「ミ
ズ・スクール」参加者40名(受講生:33名、バ
ッハの森メンバー:7名)。
3. 9 運営委員会 4名。
3. 15 特別セミナー 講師:J. -C. ツェンダー氏(バー
ゼル・スコラカントルム音大教授)。参加者21名。
3. 21 創立記念コンサート 「受胎告知と訪問」。
参加者51名。
1. 13 第193回(新年祭)
カンタータ「主なる神よ、あなたを私たちは誉め称えます」(BWV 16);
オルガン:J. S. バッハ「私を助けて神の恵みを誉め称えよ」(BWV 613)、
石田一子。参加者23名。
1. 20 第194回(新年後主日)
カンタータ「あぁ、神よ、何と様々な心の悩みが」II(BWV 58);
オルガン:G.F. カウフマン「主なるキリスト、私の命の光」、
住田眞理子。参加者16名。
1. 27 第195回(エピファニアス)
カンタータ「彼らは皆サバより来るであろう」(BWV 65);
オルガン: J. S.バッハ「みどり児生まれぬベツレヘムに」(BWV 603)、
海東俊恵。参加者20名。
2. 3 第196回(顕現祭後第1主日)
カンタータ「最愛のイェスよ、私の憧れよ」(BWV 32);
オルガン:J. G.ヴァルター「捨てよ、わが心、我は滅びに定められたりと悩む思いを」
古屋敷由美子。参加者22名。
2. 10 第197回(マリア潔め祭)
カンタータ「平安と喜びをもって私はかなたへ行く」(BWV 125);
オルガン:J. S. バッハ「同上」(BWV 616)
安西文子。参加者19名。
2. 17 第198回(顕現祭後第3主日)
カンタータ「主よ、お望み通りに私を扱ってください」(BWV 73);
オルガン:H. シャイデマン「主なる神、我らと共にいましたまわず」
比留間恵。参加者20名。
2. 24 第199回(顕現祭後第4主日)
カンタータ「イェスが眠っておられる。何を私は望むべきか」(BWV 81) ;
オルガン:J. S. バッハ「イェスよ、私の喜びよ」(BWV610)
金谷尚美。参加者21名。
3. 3 第200回(六旬節)
カンタータ「私たちを維持してください、主よ、あなたのみ言葉のうちに」(BWV
126);
オルガン:G. ベーム「同上」海東俊恵。参加者19名。
3. 10 第201回(エストミヒ)
カンタータ「イェスは12弟子を呼び寄せたもうた」(BWV 22);
オルガン:J. S. バッハ「主なるキリスト、神の独り子は」(BWV601)
金谷尚美。参加者21名。
3. 24 第202回(受胎告知祭)
カンタータ「いかに麗しく輝くことか、明けの明星は」(BWV 1);
オルガン:J. パッヘルベル「同上」、住田眞理子。参加者20名。
バッハの森クワイア(混声合唱)1. 13/22名、1. 20 /13名、
1. 27/21名、2. 3/23名、2. 10/21名、2. 17/23名、2. 24/20名、
3. 3/22名、3. 10 /23名、3. 17(ゲネプロ)/18名、3. 24/22名、
3. 31(ゲネプロ)/18名。
バッハの森ハンドベルクワイア 1. 13/7名、1. 20 /7名、
1. 27/8名、2. 3/7名、2. 10/7 名、2. 17/8名、2. 24/7名、
3. 3/8名、3. 10 /8名、3. 17(ゲネプロ)/6名、3. 24/8名、
3. 31(ゲネプロ)/8名。
声楽アンサンブル 1. 13/11名、1. 20 /7名、1. 27/14名、
2. 3/12名、2. 10/9名、2. 17/12名、2. 24/10名、
3. 3/14名、3. 10 /11名、3. 24/12名。
弦楽アンサンブル 1. 12/4名、1. 19/4名、1. 29 /4名、
2. 2/4名、2. 9/4名、2. 16/4名、2. 22/4名、3. 2/4名、
3. 8/3名、3. 16/4名、3. 17(ゲネプロ)/3名、3. 22/3名。
宗教音楽セミナー 1. 12/12名、1. 26/10名、2. 9/12名、
2. 23/11名、3. 9/10名、3. 23/9名。
宗教音楽入門 1. 19/9名、2. 2/11名、2. 16/8名、
3. 2/11名、3. 16/7名、3. 30/9名。
パイプオルガン教室 1. 17/5名、1. 18/7名、1. 25/6名、
1. 31/4名、2. 1/7名、2. 8/6名、2. 14/4名、2. 15/7名、
2. 22/5名、2. 28/5名、3. 1/7名、3. 8/6名、3. 13/2名、
3. 14/5名、3. 28/4名、3. 29/3名。
パイプオルガン入門コース 1. 13/2名、1. 19/2名、2. 2/2名、
2. 9/2名、2. 16/2名、3. 2/2名、3. 9/2名、3. 23/2名、
3. 30/2名。
声楽教室 1. 13/5名、1. 27/2名、2. 3/6名、2. 10/4名、
2. 17/5名、2. 24/4名、3. 3/5名、3. 10/4名、3. 17 /5名、
3. 31/5名。
入門講座:聖書と歴史 1. 12/4名、1. 19/6名、1. 26/6名、
2. 2/7名、2. 16/6名、2. 23/6名、3. 2/6名、3. 9/7名、
3. 16/ 5名、3. 23/7名、3. 30/7名。
8名の方々から計149,200円のご寄付をいただきました。
37名の方々から計241,000円のご寄をいただきました。