バッハの森通信 第96号 2007年7月20日発行

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巻頭言

人の命の真の姿を知るために

  評価された詩と音楽に真摯に向き合う想い

 私塾・バッハの森では、去る6月24日に、教会音楽コンサート「嘆きと待望の歌」を開き、今年1月から始めた学習活動を終了しました。この後、2ヶ月の夏休みがあり、9月から新しい学習活動を再開します。
 コンサートの参加者は、演奏者21名、会衆21名、計42名でした。確かに“少数”ですが、もともと80名で満員の小奏楽堂です。それに、コンサートを開く際に、私たちは、ただ大勢の人を集めようとは、初めから思っていません。私たちの目的は、バッハの森独特のコンサートを理解し、楽しんでくださる方々と一緒に、音楽を通して感動を分かち合うことです。ですから、今回もこの目的は十分に達成できたことを、コンサート終了後、皆様と交わした会話から確認しました。そこに、次のようなメールをいただき、私の確認は確信に変わりました。

      *     *     *

 24日には初めて(バッハの森の)コンサートを聴かせていただきました。コンサートというよりは、音楽礼拝のような印象を受けました。会衆が少なくて残念でしたが、皆様、真摯に詩と音楽に向き合う想いが伝わってきました。それに、素晴らしい音色のオルガンの伴奏で歌えるとは幸せですね。このオルガンを聴いただけでも出掛けた甲斐がありました。
 つくばの片隅で(失礼! 現に利用したタクシーの運転手さんは、“バッハの森”を全く知りませんでした)、このような営みを20年余も続けてこられたとは、奇跡的とさえ言えるのではないでしょうか。皆様の熱い想いに敬服します。
 私も参加したい想いでいっぱいで、来年の退職後には(バッハの森に)通える距離内に引っ越そうかな、とさえ思うことがあります。もし万一実現しましたら、その節は宜しくお願いいたします。 多摩市 O. M. 

      *     *     *

 O. M. さんは、コンサート終了後急いでお帰りになったらしく、残念ながらお目にかかれませんでしたが、是非もう一度、バッハの森の学習活動にご参加いただきたいと願っております。実は、私たちが“コンサート”と呼んでいる催しは、バッハの森で日々行われている学習活動の“まとめ”なのです。もちろん、O. M. さんのように、私たちの“コンサート”を初めて聴いても、「(バッハの森に)通える距離内に引っ越そうかな」と思ってくださるほど、理解と感動を共有してくださる方もいます。しかし、バッハの森で私たちは、300年前のバッハとバッハの音楽の源泉であるコラール、その創始者ルターとこれらの人々に霊感を与えた聖書まで、今から2000年から3000年も昔に遡る長い文化的継承の中から生じた音楽を学んでいます。当然、学べば学ぶほど、理解と感動が深まる音楽です。ですから、“まとめ”としての“コンサート”だけではなく、日々の学習活動に参加して、その“面白さ” を分かち合ってくださる方々を、私たちはいつも探し求めているのです。
 それにしても、私たちが心から感動を覚えて学びつつ演奏している音楽に、興味を覚えてくださる方は本当に少数です。O. M. さんがおっしゃるとおり、バッハの森が20数年も続いてきたことは、まさに「奇跡的」です。
 しかし、同時に、今、約30人のアクティヴ・メンバーと約200人のサポーターが集まって、バッハの森が内的成長を続けていることも事実です。
 最後に、バッハの森のコンサートが、「音楽礼拝」のような印象を与えたことについて、一言。これらの音楽は、本来、礼拝のために作られました。ですから、その本来の響きを再現しようとすると、どうしても“礼拝”のようになってしまいます。しかし私たちは“礼拝”をしているわけではありません。昔の人たちが、これらの音楽に籠めた想いを通して、人の命の真の姿を知りたいのです。このような音楽を学び、感動を覚える方々が、9月に始まる秋のシーズンに参加してくださることを、心から願っております。(石田友雄)

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R E P O R T/リポート/報告 

理解して歌う楽しさ
 クワイアに生じて来た層の厚み

*6月24日に開いた教会音楽コンサート「嘆きと待望の歌」終了後、一緒に歌ったメンバーがコンサートと春と初夏のシーズンについて語り合いました。

司会 バッハの森のコンサートで初めて歌った方々から
感想をうかがいましょう。いかがでしたか。

A 2ヶ月前にあったオルガン・コンサート「昇天と聖霊
 降臨」に参加したのが、バッハの森との出会いです。
 その時は聴衆だった私が、今日は演奏者の一人として
 歌うことができました。自分でもびっくりしています。
 これまで一人で音楽をする経験しかなかったので、こ
 うしてみんなと一緒に音楽をすることの素晴らしさを
 知りました。

B 他の合唱団とは違って、練習のときから歌詞につい
 て解説があると、何を歌っているのか分かって歌えま
 す。貴重な経験でした。

C 私は3回目ですが、今朝の新聞の運勢欄で「先行き良
 し」と出ていたので(笑い)、希望をもって歌いました。
 毎回練習前に20分開いていただいた「グローリア」の
 ラテン語講座がとても役にたちました。

D ボクもラテン語は必須だと思います。意味が分かって
 歌うと全然違います。

E 私も意味を分かりながら歌うことの大切さと楽しさを
 感じながら歌えました。  

F 歌詞が分かっていれば歌うことに集中できます。

司会 バッハの森では、これまでパレストリーナやヴィ
 クトリアのミサ曲を歌って来ましたが、バードは初め
 てです。いかがでしたか。

G 最初なじみがなくて慣れるのに時間がかかりました。
 でも今日はとても楽しく歌えました。

H これまで何度も聴いたことがあるバードの曲なので
 すが、聴くのと歌うのでは大変な違いがあることが分
 かりました。

I 私はバードの器楽合奏曲は知っていましたが、合唱
 曲は初めてでした。これはやはりすごい音楽だなと思
 い出したのは、練習も終わりの頃でした。時間をかけ
 てじっくり学ばないと理解できない音楽です。

J ミサ曲の「クレドー」中、「一つの聖なる教会」につ
 いて告白するところに特別な盛り上がりを感じました。
 バードの特別な問題意識があったのでしょうか。

K 合唱やハンドベルの他、いくつかの研究会にも出席
してみて、それが全部つながっていることを実感しま
した。

L 私もバッハの森のいろいろなプログラムに参加して
いますが、それが自分の中で一つになることが分かっ
 たとき、これが“三位一体”ということかな、と思い
 ました。

M ここで歌っていると、音楽の内容と心を理解して、
 初めて表現できることが分かります。今日は、こうや
 って続けてきたことで生じた層の厚みを感じました。

N この前、みんなと話し合っていて、バッハの森で歌
 い出してから12年もたったことに改めて気づきまし
 た。ようやくこの頃、ここで歌っているような古い音
 楽の楽譜には、なぜf (フォルテ)やp (ピアノ)の記号
 がついていないのかが分かって来ました。歌詞の中に
 fとpがあるので、正しく言葉通り歌えば、自然とフォ
 ルテ、ピアノがつくのです。

O 主題コラール「あぁ、神よ、天より見通してくださ
 い」のオルガン編曲が、何人もの音楽家によって多彩
 な音色と響きの素晴らしい音楽になっていることを知
 ることができました。

P 毎回の練習がとても楽しみでしたが、今日はメディ
 タツィオで、この歌が3000年も昔の人の心とつなが
 っているといいうお話しを聞き、とても不思議な思い
 がしました。

Q 「人間が現状に嘆き、救いを求める前に、神様が嘆
き、救いたいと思っている」というメディタツィオの
 お話しが胸に迫ってきました。

指揮者 今回は、春のシーズンに2回もコンサートをし
 たので、確かに練習不足でした。間に合うかしら、と
 思うときもありましたが、最後に皆様の協力があって
 良いコンサートになりました。私にもバードの面白さ
 が分かって来たところです。このミサ曲を秋のシーズ
 ンも続けましょう。

オルガニスト ゲネプロのときは、どうなることかと思
 っていましたが、いつもながら皆さんは本番に強いで
 すね。いずれにしても「理解して歌っている」ことが
 感じられる良い演奏だったと思います。

司会 “間に合わせる”というのも教会音楽の本質の一
 部ではないでしょうか。本来、教会音楽は、音楽のた
 めの音楽ではなく、礼拝のための音楽ですから、とも
 かく礼拝に間に合わなかったら意味がなかったのです。
 勿論、私たちは礼拝をしているわけではありませんし、
 次回は「間に合わないかもしれない」とヒヤヒヤした
 くありませんが(笑い)。ありがとうございました。

 オルガニスト:石田一子 / 指揮者:比留間恵
 司会:石田友雄

MEDITATIO/メディタツィオ/瞑想 

破滅の道から抜け出す手掛かり

*このメディタツィオは、教会音楽コンサート「嘆きと待望の歌」(6月24日)で朗読されました。

 本日のコンサートは、三位一体後第2主日のための教会音楽を巡って構成されています。三位一体後とは、聖霊降臨祭の次の日曜日に祝われる三位一体祭の後、という意味で、年によって22から27の日曜日(主日)を数える期間を指します。これを「教会の半年」と呼び、この半年間、教会の暦は、信徒がどのような生き方をすべきか、という教えを巡って、各主日のテーマを定めています。

神の王国の宴会

 各主日のテーマは、その日の朗読個所として定められた福音書に、最もはっきり示されています。三位一体後第2主日の福音書は、ルカによる福音書14章16〜24節で、「神の王国の宴会」に関するイェスの譬え話です。それは、「ある人が盛大な宴会を催す計画を立て、準備が整ったので、予め招待しておいた人々に使いの者を送ったが、彼らはいろいろと自分の都合を理由に一人も宴会に来なかった。怒った主人は、町の広場や路地にたむろしていた貧しい人々を無理矢理に連れて来て、宴会場を満員にするよう命じた」という、不思議な話です。
 この譬え話は何を意味しているのでしょうか。 J. S. バッハが、三位一体後第2主日のために作曲した教会カンタータによって考えてみましょう。彼の教会カンタータは、各主日の福音書の音楽的解説になっているからです。三位一体後第2主日のために、彼が作曲したカンタータは2曲あります。1723年6月6日初演の第76番「諸々の天は神の栄光を語り」と、その翌年、6月18日初演の第2番「あぁ、神よ、天より見通し、憐れみたまえ」です。ここでは、特に、これから演奏する第2番を取り上げます。

現代の危機意識と3000年前の詩篇

 このカンタータの台本は、マルティン・ルターが1524年に、詩篇12篇を改作して作詞した全6節のコラールに基づいて作成されました。先程、「主よ、地を見おろし、憐れみたまえ」という訳で、ご一緒に歌ったコラールです。この詩篇は、多分、ルターが改作する2500年前に作詞されたと思われます。ですから、詩篇12篇は、ルターまで2500年間伝えられ、その200年後にバッハのカンタータの台本となり、それから更に300年後の私たちまで、何と3000年も歌い継がれてきた歌なのです。
 ところが、歌詞を読んでみると、この大昔の詩人が、21世紀に生きる私たちと全く同じ問題意識を持っていたことを知り、驚かされます。それは次のような歌です。

 「あぁ、神様、天より見通して憐れんでください。こ
の地上には、神様に従う正しい者は余りにも少く、神様
の裁きを信じる者はいなくなりました。私たち貧しい者
は見捨てられています。
 それと言うのも、智恵があるとうぬぼれ、自分こそ正
義の味方だと自称する者どもが、次から次に嘘の教えを
作り出して人々を惑わし、お互いに非難し合って争うか
らです。彼らはうわべを美しく飾り立て、さも人々に奉
仕しているようなふりをしていますが、実のところ自分
の権力や財産を守ることしか考えない偽善者です。
 彼らは時に本心をさらけ出し、傲慢な言葉で威嚇しま
す。『負けるものか、おれたちより偉い奴など、どこに
もいない。権力はおれたちのもの、何でも全部おれたち
が自分で決めてやる。誰もおれたちを支配することなど
できはしない』と。
 神様、お願いですから、こういう嘘の教えをする偽善
者どもを、全員、根こそぎ滅ぼしてください。
 神様はおっしゃいます。『私は起ち上がろう。 貧しい
者たちが動揺し、苦しんでいるから。彼らを混乱から救
おう。彼らの嘆きが私に届いたから。私の救いの言葉は
彼らを慰め、元気づけ、その力になるだろう』と。
 しかし、神様のみ言葉は、土の炉で火を通して7回も
精錬されなければ取り出せない、純粋な銀のようなもの
です。み力を振るって偽善者どもを滅ぼし、貧しい者を
救ってくださるのは、いつですか。それまで、私たちは
み言葉を信じ、じっと忍耐して救いを待ち望まなければ
なりません。
 ですから、神様、どうか聖(キヨ)いみ言葉を、この邪悪
な世の人々の前で保ち続けてください。私たちは何もか
も全てお委せしました。私たちがあの邪悪な者どもと混
じり合って、彼らの仲間にならないようにしてください。
実際、神様を恐れない一味が私たちの周りにうろうろし
ており、厚かましい者どもが私たちの間で傲慢な振る舞
いをして人気を博しているのです」

 今から3000年前に、現在と同じような危機意識を持つ詩人がいたことに驚きます。特に、政治的指導者を批判する鋭い言葉は、そのまま現代の政治家に当てはまるのではないでしょうか。「智恵があるとうぬぼれ、自分こそ正義の味方だと自称する者どもが、次から次に嘘の教えを作り出して人々を惑わし、お互いに非難し合って争う。彼らはうわべを美しく飾り立て、さも人々に奉仕しているようなふりをしているが、実のところ自分の権力や財産を守ることしか考えていない偽善者だ」という言葉は、そのまま、ヒトラー、スターリン、広島・長崎に原爆投下を命じたアメリカ大統領、その他大勢の指導者たちに当てはまります。彼らは、正義のため、人類の幸福のためと称して、何千万人の人々を殺戮しました。明らかに神に成り代わって、自分が主張する正義を実行した人々です。21世紀になっても、この構図は何一つ変わっていません。世界各地で“正義の主張”と“正義の主張”がぶつかり合い、殺し合いが続いています。
 「嘘の教え」の横行は、政治の世界に限りません。経済活動に関しては、金持ちになることが幸福になることだという、「嘘の教え」が世界中の人々を惑わし、無制限の経済成長を目指したため、全世界が大量生産・大量消費の悪循環に陥りました。その結果、地球の自然環境は加速度的に汚染され、あと100年もたたないうちに、地球上で人類は生存できなくなるのではないか、という悲観論が広がっています。

招待は神の望み

 では、詩篇12篇とこの詩篇に基づくコラールとカンタータは、この主日の福音書の「神の王国の宴会」の譬え話と、どのように関連するのでしょうか。言うまでもなく、譬え話の「盛大な宴会」とは「神の王国」のことであり、宴会を開いた家の主人とは、天の王様、すなわち、神様のことです。次に、家の主人から宴会に招待されていたのに、いざ知らせを受けると、いろいろと自分の都合を理由に出席を断った人たちは、詩篇12篇の詩人が非難する、この世の指導者たちのことと思われます。自分は智恵があるとうぬぼれ、嘘の教えを作り出して人々を惑わし、誰もおれたちを支配することはできない、と神様に反抗する偽善者や権力者たちです。彼らは一人も宴会のごちそうを味わえない、という主人の怒りは、嘘の教えをする偽善者どもを全員根こそぎ滅ぼしてください、という詩篇の祈りと一致します。
 では、詩篇が語る「見捨てられ、動揺し、苦しんでいる貧しい者たち」とは誰でしょうか。彼らは、町の広場や路地にたむろしていた貧民です。無理矢理に連れて来られたお陰で、天国の宴会のごちそうを食べる幸運に恵まれましたが、最初、この家の主人は、彼ら貧民を招待する気がなかったようです。差別だ、と憤慨しますか。確かに、主人が招待された客と同じ身分の人間だったら、許し難い差別です。しかし、主人は神様です。だから、誰を招待しようと、それは主人の勝手なのです。無理矢理に宴会に連れて来られた貧しい人たちにとって、宴会のご馳走はまさに「お恵み」でした。
 では、「神の国の宴会」に招かれるために、私たち人間はどうしたらいいのでしょうか。勿論、招待を断ったら永久に招かれません。しかし、招待するかしないかを決めるのが神様の勝手だとしたら、ただ神様の気が向くのを待っていればいいのでしょうか。それは、招かれても招かれなくても、別にどちらでもいい人の態度です。詩篇12篇の詩人はせっぱ詰まっていました。だから招待は神様の勝手、すなわち「お恵み」だということを知っていたからこそ、「あぁ、神様、天より見通して憐れんでください」と叫んだのです。「憐れんでください」とは、「お恵み」を願う者の言葉です。
 ところで、この家の主人、すなわち、神様は意地悪だと思いますか。とんでもありません。そもそも彼は、どうしても宴会を開きたかったのです。それも家中を満員にして開きたかった。だから、無理矢理にでも人々を連れて来させました。この譬え話は、「神の王国の宴会」に人間を招待することは、実は神様が望んでいることだ、という信仰です。信仰とは、神様の考えていることを、人間が勝手に決めてしまうことです。神様自身が人間に恵みを与えることを望んでいる、という考えは“思いこみ”です。理論的根拠はありません。この“思いこみ”を「信仰」と呼びます。

嘆く神

 三位一体後第2主日のために、バッハが作曲したもう一曲のカンタータ、第76番は、詩篇19篇の初めの言葉、「諸々の天は神の栄光を語り/大空は御手の業を示す。話すことも語ることもなく、その声は聞こえないが/その響きは全地にあまねく/その言葉は地の果てにまで及ぶ」という歌詞で歌い出します。
 この詩人は、大宇宙の動きの中に、人間を「神の王国の宴会」に招待している神様の声を聞いたのです。このように、詩篇19編も、神様は人間に恵みを与えることを望んでいるという「信仰」を語ります。驚くほど楽観的な世界観です。この底抜けに楽観的な世界観を理解すると、この世界の邪悪な現状を嘆き、救いを待ち望んでいるのは、実は人間ではない。本当に傷つき、嘆きの叫びをあげているのは、「天の王国の宴会」に招待したのに、その招待を拒否された神様自身なのだ、ということが分かってくるのです。
 ところで、私たち現代人には、宇宙空間が、ただ無限に広がっていることしか分かりません。そこに神様の善意を読みとる信仰も分からなくなりました。それでも、今、自分たち人間が、破滅に向かう悪循環に陥っていることに気付き出しました。どうやったらこの悪循環から抜け出すことができるのか、誰にも答えがみつからないまま、危機的な状況はますます悪化しています。
 3000年前から、破滅に向かう悪循環から抜け出す道を探し求める人々により、歌い継がれてきた「嘆きと待望の歌」をこれから歌います。もしかしたら、破滅に向かう道から抜け出す手掛かりが見つかるかもしれません。そのような願いを籠めて、歌を歌い、歌に耳を傾けてみようではありませんか。(石田友雄)

          *     *     *

       

日 誌(2007. 4. 1 - 6. 30)

4. 1 レクチャー・コンサート「受難の詩と歌」
   参加者38名。
4. 6 運営委員会 参加者6名。
4. 28 - 30 ワークショップ
  講師:シュテファン・フィーゲラーン(アーレン
   スブルク・聖ヨハネ教会聖歌隊指揮者)
   参加者51名。
4. 28 オルガン・コンサート「昇天と聖霊降臨」
   オルガン:S. フィーゲラーン  参加者37名。
4. 30 ワークショップ終了コンサート「オルガンと合唱」
   オルガン:S. フィーゲラーン
   合唱:バッハの森クワイア  参加者46名。
5. 1 - 6 春期休館
5. 25 運営委員会 参加者6名。
6. 8 運営委員会 参加者5名。
6. 16 理事会・評議員会 財団法人・筑波バッハの森文化財団
   参加者12名。
6. 24 レクチャー・コンサート「嘆きと待望の歌」
参加者42名。
6. 25 夏期休館( - 9. 4)

J. S. バッハの音楽鑑賞シリーズ
「コラールとカンタータ」(JSB)

4. 7 第203回(復活祭第1祝日)、
  カンタータ「キリストは死の縄目につき」(BWV 4);
  オルガン:J. S. バッハ「同上」(BWV 625)、
  古屋敷由美子。 参加者18名。

4. 14 第204回(復活祭第2祝日)、
  カンタータ「私たちの許に留まってください」(BWV 6);
  オルガン:J. S. バッハ「あぁ、私たちの許に留まってください、
  主イェス・キリストよ」(BWV 649)、石田一子。
  参加者20名。

4. 21 第205回(復活祭第3祝日)、
  カンタータ「私は生きる、私の心よ、お前を楽しませるために」(BWV 145)
  オルガン:J. S. バッハ「素晴らしい日が現れた」(BWV 629)、比留間恵
  参加者20名。

5. 12 第206回(カンターテ)、
  カンタータ「私がかなたへ行くことは、お前たちに良いことだ」(BWV 108)
  オルガン:D.   ブクステフーデ「お前たち、私のところに来なさいと、神の子が語られる」、海東俊恵。
  参加者18名。

5. 19 第207回(昇天祭)、
  オラトリオ「神を誉め称えよ、その諸王国にて」(BWV 11);
  オルガン:J. S. バッハ「今やすべてのものはあなたの下にあります」(BWV 11/6)、古屋敷由美子。
  参加者16名

5. 26 第208回(エクサウディ)、
  カンタータ「彼らはお前たちを追放するであろう」I (BWV 44);
  オルガン:G. F. カウフマン「主なるキリスト、私の命の光」、住田眞理子
  参加者22名。

6. 2 第209回(聖霊降臨祭第1祝日)、
  カンタータ「私を愛する者、彼は私の言葉を守るであろう」I (BWV 59);
  オルガン:石田一子、ヴァイオリン:住田眞理子、古屋敷由美子、チェロ:古屋敷憲之:J. S.
  バッハ「来てください、聖霊よ、主なる神よ」(BWV 59/3)。
  参加者19名。

6. 9 第210回(聖霊降臨祭第2祝日)、
  カンタータ「私はすべての思いにより至高い方を愛します」(BWV174);
  オルガン:J. G.   ヴァルター「心より私はあなたを愛します、おぉ、主よ」、金谷尚美。
  参加者21名。

6. 16 第211回(聖霊降臨祭第3祝日)、
  カンタータ「彼はその羊たちを名前で呼び」(BWV 175);
  オルガン:F. W. ツァハウ「来てください、聖霊よ、神なる主よ」、比留間恵。
  参加者22名。

学習コース

バッハの森クワイア(混声合唱)4. 7/15名、4. 14 /18 名、
4. 21/19名、5. 12/15名、5. 19/16名、5. 26/19名、
6. 2/18名、6. 9/20名、6. 16 /22 名、6. 23(ゲネプロ)/20名。

バッハの森ハンドベルクワイア  4. 7/7名、4. 14 /8 名、
5. 12/9名、5. 19/4名、5. 26/8名、6. 2/9名、6. 9/9名、
6. 16 /9 名、6. 23(ゲネプロ)/9名。

声楽アンサンブル 4. 7/11名、4. 14 /13名、4. 21/16名、
5. 19/8名、5. 26/13名、6. 2/15名、6. 9 /13名、
6. 16 /17名、6. 23(ゲネプロ)/13名。

弦楽アンサンブル 4. 5/3名、4. 12/4名、4. 19 /3名、
4. 26/3名、5. 10/4名、5. 17/4名、5. 24/3名、
5. 31/3名、6. 7/3名、6. 14/3名、6. 21/3名。

宗教音楽セミナー 4. 6 /8名、4. 20/10名、5. 11/11名、
5. 25/8名、6. 8/11名、6. 22/10名。

宗教音楽入門 4. 13/8名、4. 27/6名、5. 18/8名、
6. 1/7名、6. 15/6名。

パイプオルガン教室 4. 3/2名、4. 5/3名、4. 11 /4名、
4. 12/6名、4. 19/6名、5. 8 /2名、5. 10/6名、
5. 16/3名、5. 17/6名、5. 18/2名、5. 24/4名、
5. 30/3名、5. 31/7名、6. 7/6名、6. 13/4名、
6. 14 /6名、6. 27/4名。

パイプオルガン入門コース 4. 4/2名、4. 11/2名、
5. 9/2名、5. 10/2名、5. 16/2名、5. 17/2名、
5. 24/2名、5. 30/2名、5. 31/2名、6. 6/2名、
6. 7/2名、6. 13/2名、6. 14/2名、6. 21/2名。

声楽教室 4. 1/2名、4. 7/4名、4. 14/2名、4. 21/4名、
5. 12 /2名、6. 1/2名、6. 8/2名、6. 9/2名、
6. 15 /2名、6. 16/2名、6. 22/2名。

入門講座:聖書と歴史 4. 6/6名、4. 13/7名、4. 20/5名、
4. 27/5名、5. 11/8名、5. 18/7名、5. 25/8名、
6. 1/8名、6. 8/10 名、6. 15/10名、6. 22 /9名。

特講:ラテン語・ドイツ語入門 5. 23/2名、5. 26/2名、
6. 1/2名、6. 2/3名、6. 6/2名、6. 7/2名、
6. 9/2名、6. 15/2名、6. 16/3名、6. 20/2名。 

寄付者芳名(2007.4.1 - 6.30)

7名の方々から計68,500円のご寄付をいただきました。

建物修繕費用・積立会計(2007.4.1 - 6.30)

46名の方々から計265,000円のご寄をいただきました。

2006年度統計

集会回数・参加者延べ人数 (2006.4.1〜2007.3.31)
学習コース  回数  延べ人数
バッハの森クワイア(混声合唱) 36 630
バッハの森ハンドベルクワイア 34 258
声楽アンサンブル 31 349
弦楽アンサンブル 26 98
宗教音楽セミナー 17 123
宗教詩を読む 4 28
宗教音楽入門 12 111
カンタータ入門 5 51
パイプオルガン教室 76 350
パイプオルガン入門コース 9 18
声楽教室 41 144
バロック教会音楽ワークショップ 3日間 78
ワークショップ 1 24
入門講座:聖書と歴史 33 193
クリスマス祝会 1 38

公開プログラム  回数  延べ人数
コラールとカンタータ 31 565
コンサート 5 250
クリスマス物語      1 70

運営活動  回数  延べ人数
運営委員会 10 52
理事会・評議員会   1 10

その他  回数  延べ人数
来訪 4 8
取材   5 10
3日間と383回 3,458人

会員移動(2006年度) 会員数(2007.3.31現在)
入会 退会 増減
維持会員 24 26 -2  133人
賛助会員 2 6 -4 60人
193人

会計報告(2006年度)単位:千円

一般会計

収入の部 単位 千円
前期繰越 1,659
基本財産利息 1
維持・賛助会費 1,252
寄付 332
事業収入 4,662
雑収入 2,534
10,440

支出の部 単位 千円
管理費   3,181
事業費 2,993
建物維持積立 1,599
長期借入金返済 360
次期繰越 2,307
10,440

長期借入金 34,560千円

特別会計(建物維持)

収入の部 単位 千円
前期繰越 1,838
寄付 994
一般会計繰入 1,599
借入金 7,179
11,610

支出の部 単位 千円
修繕費 7,179
借入金返済 2,880
次期繰越 1,551
11,610

特別会計(地上権)

収入の部 単位 千円 支出の部 単位 千円
前期繰越 1,062 地上権更新   1,000
寄付金 200 次期繰越 262
1,262 1,262