*4月11日現在、深い哀悼の意と、心の籠もった慰めの言葉を綴ったお手紙を、70数通いただいております。その中から、外国からいただいたお手紙の一部を、英語、或いは、ドイツ語の手紙は翻訳して日付順に掲載させていただきます。(T)
2009年1月6日
サンフランシスコ
石田友雄様
この度は、一子様、御他界と伺い、驚き、深い悲しみに打たれて居ります。
昨年、御病気の由、伺いましたが、その後も相変わらず御活躍と伝え聞き、今年は日本へ行く予定を立てて居りましたので、その時は是非お会いしたいと楽しみにしていたところでした。
一子様とは、お茶の水女子大付属の幼稚園、小学校、女学校と長いお付き合いで、特に私が病床に過ごしておりました若い頃の日々に、一子さんのお祈りとお導きによって主の御救いに与りました喜びを忘れることが出来ません。
バッハの森に注がれた熱い情熱の素晴らしさには、何時も感嘆の念を抱いて居りました。与えられた命を捧げ、燃え尽くしてしまわれた御生涯を心から尊敬して居ります。
「石田一子を記念する集い」の御計画があると伺い、出席させていただきたいと心は逸りますが、何せ余りにも遠く、思うにまかせません。何とぞ良きお集まりが持たれますよう、祈りを送らせていただきます。
蒲生靖子
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2009年1月18日
チュニス
友雄先生
昨日、一子先生のご逝去のお知らせをいただき、余りにも突然のことにただただ驚き、信じられない思いでおります。かねてよりご病気とはうかがっておりましたが、まさかの思いばかり強く、何ということでしょうか。
すぐにバッハの森のホームページを開きましたら、懐かしい一子先生のお顔がぱっと目に飛び込んできて、思わず涙がこぼれました。今でも、毎週ワクワクしながら通ったハンドベルのクラスで、低音の大きなハンドベルを、両手で抱えるようにして振っておられた一子先生、合唱のときにオルガンで伴奏をなさっているお姿など、懐かしく思い出されます。そしてコンサートで一子先生のオルガン演奏を聴くたびに、いつもその場にいられる幸せを噛みしめたものです。バッハの森で過ごした日々、そして一子先生から教えていただいた何もかもを、一生忘れることはありません。
小嶋しのぶ
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2009年1月25日
ユーバーリンゲン、ドイツ
リーバー・トモオ
お手紙が届いたとき、何が起こったか、すぐ分かりました。送ってくださった写真のカズコは、死の直前なのに、力に満ちています。ある種の力、カズコと貴方が持っていた力は、とても特別な命の宝と言ったらいいでしょうか。それが今は本当の平和と幸福のうちにあると信じます。
でも、こう言っても、貴方にとっては、何の慰めにもならないでしょう。本当に、毎日どうなさっていますか。メグミや、貴方の素敵なグループが、貴方をいろいろ助けていると思いますが。始終、貴方がどうしているか、考えています。貴方がこれから自分の生きる道を見つけて、この困難を克服なさることを心から願っています。
心からのご挨拶と思いを籠めて
ルット・ヴィンドルフ
*注記:ルットは、一子と友雄がエルサレムで出会ったドイツ人。2007年にギリシャ人のマリアと一緒にバッハの森を訪問し、約2週間滞在しました。
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2009年1月25日
ミュンヘン
ディア・トモオ
貴方のご夫人、お友だち、生涯の連れ合いだったカズコの痛ましい逝去を知って、本当に悲しみました。心からお悔やみ申し上げます。
「神の時」(Gottes Zeit)は、この世に残されて生きている者にとっては「いと善き時」(allerbeste Zeit)とは言えませんね。しかし、お手紙から、貴方がカズコと一緒に「旧い契約」(der alte Bund)と呼ばれていること(人の死)のために、準備の時を過ごされたことがよく分かりました。
ディア・トモオ、貴方自身とバッハの森の活動のために、貴方がいつまでも元気でおられることを願っています。貴方たちは、素晴らしい独特の方法で精神世界の扉を開き、多くの人たちのライフを豊かになさってきました。私自身、私のライフに貴重な価値を付け加えていただいたことを、貴方とカズコにいつまでも感謝いたします。
お身体に気をつけて。
ヘドウィク・ミヤシタ
*注記;ヘドウィクはバッハの森の前身、筑波バッハ合唱団のメンバーで、1980年12月の最初のコンサートでカンタータ「神の時はいと善き時」(BWV 106)を一緒に歌いました。
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2009年1月26日
ワイオミング州オークレール
ディア・トモオ
カズコの死を知らせるお手紙を受け取って、大変悲しみました。お知らせと同封された写真、有り難うございました。この写真は、大変魅力的な夫妻と気品高く闘病に耐えている貴婦人を写しています。
1992年に皆様を訪問したことをよく覚えています。はるか以前のことだったとは思えません。もう一度日本に行き、貴方たちお二人と会うことをずっと願っていましたが、それがかなわなくなったのは本当に残念です。バッハの森を訪ねた日のことは、一生、私の最高の時となるでしょう。
バッハの森を続けるという貴方の決心は素晴らしいことです。神様の祝福がありますように。貴方のことをずっと思っています。
お元気で。
ビリー・ケイリー
*注記;ビリーは、一子が21歳から4年間、ロチェスターでお世話になったケイリー家の次男。一子が一家と一緒に過ごした頃、12、3歳の少年で、仲良しだったそうです。
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2009年1月27日
イリノイ州ホートン
ディア・トモオ
カズコが今や主のみ許にいるというお知らせを受けたショックから、私たちはまだ立ち直っていません。バッハの森で開かれた彼女を「送る集い」と、そのとき歌った4曲のコラールについて知らせてくださったお手紙を読んで、私たちはしばらく言葉もありませんでした。そしてポリーは泣き出しました。それ以来、私たちは、どれほどカズコのオルガン演奏が好きだったかということを、始終話し合っています。何年も前にお招きを受けたとき、貴方たちのところに行ってもう一度聴けたらよかったのですが。
カズコの演奏の録音はありますか。或いは、記念にCDを作製なさいますか。是非、欲しいのですが。エルサレムのドイツ教会でオルガンを弾いていたカズコと最初に会ったときのことや、貴方たち二人と一緒に過ごした日々のことを、まだよく覚えています。余りにも短く終わってしまった日々でした。
トモオ、貴方が感じているに違いない空虚、バッハの森の皆さんの喪失感を思います。しかし、カズコは、バッハの森に集まって、バッハの音楽とそれが伝えるメッセージを理解し楽しむ人たちを、貴方が励まし続けることを願っているに違いありません。バッハの森は、貴方とカズコが本当に多くの力を注いで創り出したユニークなお仕事です。
私たちは、これからもずっと貴方のことを思っています。いつの日か、主ご自身が私たち皆の涙を拭い去ってくださるときに、私たちは一緒に天に集まって新しい歌を歌いましょう。今頃、カズコはエリザベートと楽譜を見比べているかもしれません。
私たちの深い思いと慰めとともに
ジム & ポリー・マンソン
*注記:マンソン夫妻は、一子がエルサレム・ドイツ教会でオルガニストをしていたときに出会った友人。エリザベートはドイツ人で、一子の後を継いでエルサレム・ドイツ教会のオルガニストを務めていましたが、2008年12月14日に亡くなりました。
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2009年2月2日
レール、ドイツ
石田友雄様
一子夫人の死のお知らせに、私たち二人ともショックを受け、大変悲しみました。健康で最も充実しておられた頃の彼女を知っていますから。しかし、これはずっと前のことで、時間はたちました。本当にお気の毒です。貴方のことを思い、これからもお元気なことを願っております。いつでも、貴方自身のことや貴方のオルガンのことで、私たちにご相談になりたいことがあったら、喜んでうかがいます。
真心をこめて、貴方の
ユルゲン & ルット・アーレント
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2009年2月13日
シュヴェリン、ドイツ
リーバー・トモオ
カズコの死のお知らせ、有り難うございました。彼女の闘病と彼女を「送る集い」の報告に大変感動しました。私たちも貴方と一緒に彼女の死を悲しみます。生涯の伴侶の死は大変痛ましいことです。貴方とカズコの生涯の使命だったことを、さらに実現し続ける力が、貴方に与えられることを願っています。
今、日本とドイツが本当に遠いと感じています。私たちの思いを手紙でしか表現できませんから。全く違ういろいろの状況で、突然、カズコのことを思い出します。彼女が調理したプルーンとか、バッハの「いざ来たりたまえ、異邦人の救い主よ」のオルガン編曲を聴いたときとか。余りないことでしたが、この曲をカズコが弾くのを聴いたことがあります。それは深い思いが籠められた、しかしセンチメンタルではない、滅多に聴けない演奏でした。追憶は死の贈り物であり、追憶によって死と慰めある付き合いができるものです。
先週、シュテファン・フィーゲランに夏のコンサートを依頼しました。その返事の中で、「カズコの死の知らせを聞いて、とても残念です。短時日でしたが、彼女は私の心に深く刻み込まれています」と書いてきました。彼は半年前からランダウのカントルです。
私たちは貴方とバッハの森の皆さんのことを、いつも思っています。皆さんに宜しくお伝えください。
ヤン・エルンスト & マインデルト・ツヴァルト
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エルサレム
ディア・トモオ
君の悲しみの時にボクたちは君と一緒にいます。心からお悔やみいたします。カズコの最後の痛ましい4週間をボクたちにも分けてくれて有り難う。バッハの音楽とコラール漬けの「送る集い」の報告は感動的でした。バッハの森の活動を続けることが君の慰めになるよう願っています。どうぞお元気で。
イザベラ & イスラエル・エフアル
*注記:イスラエルはエルサレムのヘブライ大学大学院で出会った友雄の学友です。
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2009年2月20日
エルサレム
ディア・トモオ
イスラエル・エフアルから貴方の愛するカズコの亡くなったことを聞きました。この不幸なニュースを聞いて、どれほど悲しんだことでしょうか。
「彼女の追憶が祝福されますように」
エルサレムでカズコが開いたコンサート、エルサレム旧市のムリスタン街の教会に響いた美しいオルガンの音色と彼女の完成した演奏をよく覚えています。もちろん、貴方が学者たちを集めた東京の学会とその後でつくばのお宅にうかがった日のことも。カズコは本当に優しく、本当に温かくもてなしてくださいました。貴方たちお二人が、この訪問を忘れがたいものにしてくださったことを(亡夫)ハイムと私はよく語り合ったものです。
愛した人がもう一緒にいない家がどれほど空漠としているか、私にはよく分かります。ハイムが死んでからもう3年以上、私は毎日それを経験していますから。ですから、心からのお悔やみと長年にわたる友情をお受け取りください。
いつまでもお元気で。
ミリヤム・タドモール
*注記:ミリヤムはヘブライ大学で友雄が学んだときの恩師、ハイム・タドモールの未亡人で、彼女も考古学者です。
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2009年3月21日
シュヴェリン、ドイツ
リーバー・トモオ
明日、貴方とバッハの森の皆さんは、音楽と朗読で、カズコの記念の集いをなさいます。私たちも貴方たちと一緒にカズコを思うことで参加いたします。悲しみと並んで、感謝が集いの真ん中にあることでしょう。私たちも同じです。バッハの森の友人共同体と音楽から生じる力が、貴方と皆さんに与えられますように。
私は、今、去年5月にバッハの森で演奏したコラール「今、私たちは願う」と「心より私はあなたを愛します、おぉ、主よ」のプログラムを開いて、カズコのことを思い出しています。ドイツの教会歌を愛したカズコを、私はいつも思い出します。
私たちの愛する友人だったカズコを追憶しながらご挨拶を送ります。
ヤン