参加者の日記帳 - 教養講座:聖書を読む

2004.3.11
ユダヤ人とエルサレムの歴史について学ぶ。紀元前1000年頃、ダビデがエルサレムを占領してここに遷都した。その子ソロモンがヤハウェの神殿を建てた。ダビデ家とエルサレムの二重の選びを内容とする「ダビデ契約」がユダ王国の正統信仰となる。これがイザヤの思想の拠り所。586年にバビロニア人がエルサレムと神殿を破壊。538年までバビロンに捕囚される。捕囚時代と捕囚後の時代にバビロンのユダヤ人が(旧約)聖書の中心部分を編纂。エルサレムに持ち帰る。エルサレム第2神殿を再建し、神殿を中心とするユダヤ人コミュニティーがユダヤ教の始まり。紀元1世紀前半に、エルサレムでキリスト教が誕生。70年に大反乱を起こしたユダヤ人を、ローマ人がエルサレムから追放。90年頃、正典(旧約)聖書が成立。135年代2次反乱。ユダヤ人はエルサレム、ユダヤ地方から追放される。200年頃「ミシュナ」成立。4世紀にキリスト教化したビザンツ帝国のユダヤ人迫害が始まる。500年頃、バビロニアで「タルムード」完成。7世紀にイスラム教徒がエルサレムを占領し、かつて神殿があった聖なる場所(キリスト教徒はごみ捨て場にしていた)に「岩のドーム」を建立。(Y.F.)

2004.2.26
インマヌエル預言(イザヤ書7章14節)では明確にされなかった「男の子」の姿が、9章5節〜6節で、より具体的に示される。彼は、驚くべき助言者であり、神のような勇士であり、永遠の父であり、平和の君だ。疑問は、このような「男の子」が、いつ、どのようにして地上に現れるのかということ。初代キリスト教徒は、この「男の子」は、ナザレのイェスのことだと信じた(マタイによる福音書1章23節)わけだが、当然、イザヤは何か別のことを考えていたはず。どうもはっきりしない。しかし、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」という最後の言葉が興味深い。具体的なイメージを描けなくても、いずれ必ず神が実現するはずだ、という信念。
ところで、“Meine Seele erhebt den Herren”(ルカによる福音書1章47節以下)の文中、「神が憐れみを思い出して(denket)」という言葉。どうして神が思い出すのか? 思い出すべきは、忘れっぽい人間の方ではないか?と質問したら、友雄先生から、聖書を読む際の基本的姿勢を「思い起こ」(denken)
させられた。1) 聖書に固定的な神観はない。2) 古代人にとって、神は、現代人の抽象的な信仰対象ではない。実際に向き合って経験した状況。3) 聖なる存在、すなわち、怖い存在。畏れという古代人の素朴さに心惹かれるが、やはり、よく分からないので、コロッと忘れて現代人的思考にあぐらをかいてしまう。「呑気に暮らしている今の日本人に最も理解しにくいことですね」と言われてしまった。(Y.F.)

2004.2.6
バビロンに捕囚されたユダヤ人は、バビロニア人の物質的に豊かな文化に同化することなく、先祖から伝えられてきたヤハウェ信仰による生活を守った。これは、後にイェスがピラトに語った「この世に属さない国」、すなわち、インマヌエル(神が共にいます)の状態なのだろうか。(KY.)
エフライムとダマスコの連合軍か、アッシリアか、どちらにしても、いつかは滅ぼされるであろうユダ王国を頼みにしていたのでは、選民の存続に限界があることを悟り、国を失ってもなお選民が次の世代にその伝統を伝え続けていくというイザヤの発想は、きわめて現実的でありながら、革新的であった。イザヤは現在世の中に存在しない新しい状況を見ることが出来た人だった。
11章でインマヌエル思想は発展し、理想の王はエッサイの根、つまりダビデの子孫として描かれる。イザヤはダビデ家の子孫のもとで、初めて選民は選民であり得ると考えていた。それが選民のアイデンティティだと。選民が王国という強固な枠組を失っても、なお選民として生き続けるだけの、自分の存在の根拠となるべき核をここに見ていたのだろう。(KI)

2004.1.29
イザヤの「インマヌエル」預言について学んだ。「インマヌエル」、すなわち、「神が我々と共にいます」とはどういうことか? この預言が語られたときのユダ王国の国際的政治状況は、アッシリア帝国に援助を求める以外、絶望的だとアハズ王は考えた。この政策を宗教家(預言者)に覆されたくなくて、アハズは神から与えられる「しるし」を拒否する。だが、それに構わずイザヤは一つの「しるし」として、男の子「インマヌエル」が授けられる、と預言した。
 私は、この「しるし」としての男の子に、土地と子孫をアブラハムに与えるという神の約束を思い出した。「インマヌエル」の「しるし」によって、「王が拒否しても神の計画は進んでいる」、或いは、「王の個人的な考えは王一代で終わりだ」、しかし、アブラハムに約束した神の計画通り、「選民の歴史」(toledoth)は続く、ということが語られている。これは、インマヌエル預言の直前に「エフライムの頭はサマリア、サマリアの頭はレマルヤの子(イスラエル王)」、だが、言外に「ユダの頭はエルサレム」「エルサレムの頭はアハズ(ユダ王)ではなくて神、ヤハウェ」と語る考えと平行している。インマヌエル預言をキリスト教徒はどのように解釈したか、この預言に基づいたヨーロッパ人の神政政治はことごとく失敗したという歴史等々、いろいろな角度から「インマヌエル」という思想を考えるヒントが与えられたが、余りにも壮大なテーマで、いつもながら頭がクラクラしてしまった。(Y.F.)

2004.1.22
イザヤはユダ王に仕える預言者(王の意見番)であり、王に直接話しかけることができる高貴の身分の人だった。しかし、イザヤの進言に王は耳を貸さず、かえって公に語ることを禁じたらしい。そこでイザヤは「私は弟子たちと共に証しの書を守り、教えを封じておこう」と言う。イザヤに先だって活動したアモスやホセアも、弟子たち(共感者)に望みを託し、彼らが公の場で語った預言を書き留めさせ、それを後世に伝えた。これらの文書がバビロン捕囚を通して聖書に纏められた。大変な伝承である。(HT.)

2004.1.15
ヘブライの預言者の考え方の原点について学んだ。紀元前8世紀以降、預言活動を文書として遺した記述預言者(アモス、ホセア、イザヤ等)が出現したが、彼らの主張は、「選民」の原点を思い出せ、ということだった。それは、
1)紀元前13世紀に、モーセに率いられてエジプトを脱出した先祖が、シナイ山麓でヤハウェと契約を結び、イスラエルはヤハウェの「選民」になった。「シナイ契約」。
2)ヤハウェがダビデ家とエルサレムを選び、その永遠の存続を約束した。「ダビデ契約」。
この二つの契約によって、民族のアイデンティティーを守ってきたのがユダヤ人だ。民族成立の原点を持っていることも不思議なら、それをいつも思い出してアイデンティティーを守ってきたというのも変わっている。なぜそうなったのか?(M.H.)

どのようにしてヤハウェ一神教が成立したか、ということを考えた。カナンに入植したイスラエル12部族は、シナイ山でヤハウェと契約を結んだという信仰を持っていたが、カナンの先住民から農耕文化を学んでその多神教を知ると、ヤハウェ信仰とカナンのバアル信仰が混淆した。その時、純粋なヤハウェ一神教を守る運動を起こしたのが預言者たち。紀元前6世紀に起きたバビロン捕囚を通して、それまで伝えられてきた聖なる文書をヤハウェ一神教の考えに基づいて編纂した。これが後代(旧約)聖書になった。それにしても、神と契約を結ぶとはどういうことか? 紀元前2千年紀の「大王・属王条約」と比較する説明は理解しやすい。この条約によると、大王(神)が属王(選民)を守る代わりに、属王(選民)は条約(律法)を守るだけではなく、大王(神)を「愛さなければならない」。究極の服従。だから、条約(律法)を守ることは、属王(選民)の「誇り」であり「喜び」だ。(H.T.)