参加者の日記帳 - コンサート

2004.6.27
レクチャーコンサート
「聖霊の歌」

オルガン:石田一子
合唱:バッハの森クワイア(指揮:比留間恵)
ハンドベル:バッハの森ハンドベルクワイア
解説:石田友雄

報告:
「聖霊」に関する3曲の古典的コラールをいろいろな形で演奏し、その歌詞に基づいて、三位一体の神の第3位に位置づけられる「聖霊」とは、どのような「神」であるかということについて、レクチャーがありました。
 今回取り上げたコラールは、「来てください、創造者なる神、聖霊よ」"Komm, Gott Schoepfer, Heiliger Geist"、「来てください、聖霊、主なる神よ」"Komm, Heiliger Geist, Herre Gott"、「今、わたしたちは聖霊に願う」"Nun bitten wir den Heiligen Geist"の3曲です。これら3曲の共通点は、いずれも中世以来、ラテン語とドイツ語訳で伝えられ、ルターが改訳、補足したコラールであることです。実際、この3曲は、ルターが最後に前言を書いたコラール集「バプスト聖歌集」(1545年)の10番、11番、12番に、聖霊降臨祭のコラールとして収められています。
 聖霊降臨祭は、春の大祭、復活祭から50日目の、初夏の大祭です。新約聖書の記事によると、十字架にかけられて死に、葬られた後、3日目に復活したイスは、その後40日間、弟子たちに現れ、天から「慰め主」を送ると約束して昇天します。それから10日目に約束通り、弟子たちに激しい風と共に炎のような「聖霊」が降りました。このため、風と炎が鳩と共に、「聖霊」の絵画的象徴になります。なお、鳩はイスが洗礼を受けたときに、彼に降った「聖霊」の形に由来します。
 十字架にかかる前に、イスは告別の言葉の中で、私は父と共に、私を愛する者たちのところに来て住む、と語りました。父なる神と子なる神が信徒の心に住み着くという行動が、「聖霊」に他なりません。そこで、聖霊降臨祭のコラールは、先ず「来てください」と「聖霊」に願います。次に心の中に「愛の炎」を燃やして下さいと願います。「聖霊」は、新約聖書の原語、ギリシャ語では、しばしば「パラクレートス」と呼ばれます。「慰め主」と訳されますが、実際には「弁護士」という意味で、最後の審判に際して、罪人である人間の弁護をしてくれる者のことです。そこで、コラールでは、この世から「祖国」(Vaterland)に「帰郷」(heimfahren)するときの守護を「聖霊」に願うのです。
 これら3曲のコラールに基づくオルガン編曲として、J. S. バッハ(BWV 651, 667)、M. ヴェックマン、D. ブクステフーデの4曲、合唱として、J. S. バッハ(BWV 59/3, 169/7)とM. プレトリウスの3曲、また斉唱と交唱、"Veni Cretator Spiritus"「来てください、創造者なる神、聖霊よ」の朗唱とハンドベルの演奏がありました。その他に、パレストリーナのミサ・ブレヴィスより「キリエ」と「グローリア」の合唱もしました。

聴衆の感想:
 今回は難しいテーマでしたが、とても面白く、レクチャーとコンサートを拝聴させていただきました。よく出来たプログラムと素晴らしい演奏だったと思います。交唱が非常に効果的でした。バッハのコラールが聴けて幸せでした。(天理市 A. M.)

 つくばに来て一年、バッハが好きなので、一度行ってみたいと思っておりましたところ、肉屋さんでポスターをみつけました。グレゴリオ聖歌を一昔前に学んだことがあり、懐かしく思い出しました。心に響く素敵な演奏、ありがとうございました。(つくば市 J. S.)

 奏楽堂の気温が下がったかと思うほど、きれいな歌声でした。ハンドベルもこんなに美しいものとは思っていませんでした。キリスト教についても学ぶことができてよかったと思います。(つくば市 M. K.)

 とても綺麗に音が響く奏楽堂で、合唱、オルガン、ハンドベルの演奏が聴けて楽しい時間を過ごすことができました。今は無理なのですが、機会があれば一緒に歌いたいと思いました。(町田市 A. K.)

 合唱にはいつも感心しますが、今日は特に語尾がはっきり聞こえて、しっかりした土台があるように感じました。オルガンは特に最後の曲の演奏が圧巻でした。さすがは一子先生! コラール3曲が分かりやすく配分された良いプログラム構成でした。(つくば市 H. M.)

 慰め主の聖霊が、私たちを生かしてくださる力であることを、再び実感しました。レクチャーとオルガン、歌とハンドベルが、乾いた心に染み渡りました。力を受けて家路につくことができます。(栃木市 Y. S.)

 パワー溢れるレクチャーコンサートでした。朗読を伺い、歌詞を目で追いながら、比留間恵さんの力強い指揮振りに感心し、クワイアの澄んだ歌声に、自分も参加している思いに終始していました。オルガンのきらめく「聖霊の歌」の響きに包まれて、パワーを頂く想いでした。またハンドベルのキラキラと冴えた音色に心が染まりました。皆様のご健康とご活躍を祈りつつ。(東京都 Y.K.)

2004.5.4
バッハの森フェステヴァル・コンサート
「マニフカート(マリアの讃歌)」

オルガンと指揮:ヤン・エルンスト
ソプラノ:比留間恵
アルト:マインデルト・ツヴルト
合唱:バッハの森クワイア
ハンドベル:バッハの森ハンドベルクワイア
解説とメデタツオと朗読:石田友雄

報告:
 今年のフェステヴァルには、「マニフィカート」を巡る教会音楽コンサートを開きました。
 ハンドベルの点鐘に続いて、このコンサートのテーマを、「マニフィカート」第5旋法の、H. シャイデマンによるオルガン編曲と男声朗唱のアルテルナティム(交替演奏)によって示した後で、教会音楽コンサートの枠組みとなる「キリエ」と「グローリア」を、G. P. ダ・パレストリーナのミサ《おぉ、天の王を》より、合唱しました。
 次に「受胎告知」「訪問」「マリアの讃歌」という3場面が連続する物語を、聖書朗読(ルカによる福音書1章26 - 38節、39 - 45節、46 - 56節)と音楽によって描きました。先ず二重唱と合唱とオルガンで、H. シュッツの「アヴェマリア」(SWV 334)が、天使ガブリエルと処女マリアの対話を歌い、続いて、エリザベートを訪問するマリアの姿を描く、J. エッカルトの合唱「山々を超えてマリアは行く」が美しく響きました。最後に、H. シュッツのドイツ語マニフィカート「私の魂は主をあがめ」(SWV 426)を合唱しました。生き生きと歌詞を描写する劇的な音楽です。
 それから、次のような「メディタツィオ」が読まれ、コンサートの前半で演奏した「マニフィカート」の解説と、後半で演奏するコラール:“Herr Christ, der einig Gotts Sohn”「主キリスト、神の独り子」を一緒に歌いましょうと呼びかけました。
 「マニフィカート」は、古代、中世、ルネサンス・バロック時代を通じて、最も広く愛唱された歌でした。歌と言ってもメロディーのことではありません。歌詞のことです。その結果、この同じ歌詞によって、無数の美しい音楽が作曲されました。
 なぜ「マニフィカート」は、これほど強く人々の心を捕らえたのでしょうか。
先ず、聖霊によって、イェス・キリストを身籠もった処女マリアの喜びが歌われます。その中で、ラテン語の歌詞、exsultavit spiritus meus は、「私の霊は喜びで沸き立ちました」と訳すことができます。赤ちゃんを身籠もった女性の喜び、しかも、その赤ちゃんは世の救い主になる人だと言うのです。救い主の母親になる。こんな祝福を受けた女性は人類にただ一人。だから、これから、歴史を通じて世界中の人々の称賛を受けるようになるだろう、と考えたマリアの心が喜びで沸き立ったのは当然です。人々は、そのようなマリアと一緒に感動しました。
 次に、この救い主はどんな方なのか、ということが歌われます。彼は偉大なことをする力強い方です。具体的には、今、この世で権力と財産を掌握し、傲慢に振る舞っている人々を、その権力の座から追放し、財産を没収する。反対に、今、圧迫され、困窮している人々を救助し、空腹な人々に食物を与え、満腹にしてくださる。そんな方なのです。言い換えれば、社会正義を実現して平等な社会を創り出してくださる方です。もちろん、いつの代の人々も、このような救い主の出現を待っていました。だから、人々は、マリアと一緒に、生まれて来る救い主を、わくわくする思いで待ったのです。
 最後に、このような救い主をこの世に送ることは、選ばれた民族、すなわち、選民の先祖、アブラハムに、神様が大昔に約束なさったことであり、その約束が、今、成就する、と歌います。これは、今、自分たちは歴史の流れの変わり目、それも流れが逆転する転換点に立っているという、身震いするような感動です。だから、人々は夢中になって「マニフィカート」を歌いました。
 このような、歴史の流れが逆転する転換点に、自分が立つんだ、という強烈な自意識を歌ったコラールを、これから私たちは歌います。コラール:“Herr Christ, der einig Gotts Sohn”「主キリスト、神の独り子」です。これは、16世紀前半に、マルティン・ルターと共に宗教改革の激動の時代を生きた、エリザベート・クルーツィガー、ないしは、クロイツィガーと呼ばれる、コラール史上、最初の女流歌人となった方が作詞作曲したコラールです。その最終節で、“Ertoet uns durch dein Guete”「私たちを殺してください、あなたの慈しみによって」と彼女は歌います。「殺してください」とは、何と激しい言葉ではありませんか。この歌詞は、“Erweck uns durch dein Gnad”「私たちを生き返らせてください、あなたの恵みによって」と続き、それは「古い人を無力にし、新しい命に生きるため」と説明されます。
 この場合、「私たち」とは、個人だけを意味していません。個人と共に社会も含めた「私たち」、すなわち、全世界です。この「私たち」が「新しく生きるために」「殺してください」という願いは、何よりも、もちろん、自分自身を含めてですが、私たちが今生きている社会の構造、世界の流れ、価値観すべてに対する明確な否定です。人は、このような主張を「革命」と呼びますが、これまで、歴史の中でたびたび起こった革命は、単に、それまでの権力者が別の権力者に代わっただけでした。一例をあげるなら、このような権力者の交替が、今、イラクで起きました。この情勢が、人々が救い主に期待してきた正義の実現から、はるかに遠いことは言うまでもありません。 
 宗教改革の時代も、結局は同じような権力闘争が行われていました。その時代に生きて、この世界は絶対に変わらなければいけない、いや、その転換点に私たちは自分で立たなければいけない、という熱い思いにかられて、クルーツィガーは「私たちを殺してください」と歌ったのです。ですから、彼女が願った死は、暴力革命による体制の転覆ではなく、“durch dein Guete”「あなたの、すなわち、イェス・キリストの慈しみによって」与えられる死でした。
 それは、十字架上で自ら死を選んだ人の慈しみが与える死です。
実際には、宗教改革に続く宗教戦争、そして30年戦争と、権力闘争が続いた歴史を私たしたちは知っています。この惨憺たる結果にもかかわらず、また、実際にどうやったら十字架上で自ら死を選んだ人の慈しみによって死に、新しく生きることができるか、よくわからなくても、それでも、今、新しくならなければならないというクルーツィガーの熱い思いを否定することはできません。彼女の思いに動かされた音楽家たちの中から、今日はシャイデッマン、シャイン、プレトリウス、バッハの編曲を選んで演奏します。どうぞ皆様もご一緒にこの熱い思いにご参加ください。

     主の憐れみに
     死なせたまえ
     よみがえるため
     恵みにより。
     古きを去りて
     あらたな命
     生かしたまえ。

 コンサートの後半は、アルトとオルガンによる、C. モンテヴェルディ「ご挨拶いたします、おぉ、女王よ」で始まり、イザヤ書60章1 - 3節の朗読に続いて、コラール「主キリスト、神の独り子」の、6人の作曲家による種々の編曲を、ハンドベル、オルガン、二重唱、合唱などの演奏と共に、参加者全員で斉唱しました。
 最後に、アロンの祝祷(民数記6章24 - 26節)朗読の後で、J. S. バッハのマニフィカートによるフーガ「わが魂は主を崇め」(BVW 733)のオルガンが鳴り響き、ハンドベルの点鐘でコンサートは終わりました。

聴衆の感想:
今日のコンサートに伺えたことを心から嬉しく、ただただ感激です。大病を癒され、このような素晴らしい演奏を聴かせていただき感謝です。(ひたちなか市 YO)

3月のコンサートに初めて来て、今日は2回目ですが、前回と印象が大分違いました。外来の音楽家と一緒に演奏なさったためでしょうか? 最初に、ハンドベルの点鐘が後ろのギャラリーから聞こえてきたときは、一瞬、驚きました。「キリエ」を聴きながら、歌っている人たちが嬉しそうだと思いました。アルトの独唱では、"o regina, o mater, o vita, o spes...."「お、女王、母君、命、希望...」という繰り返しになる度に、自分の体がつられて動いてしまいました。オルガンの響きが前回とは曲目が違うためとも思いますが、新しく聴こえました。これが演奏者ごとの個性の現れなのでしょうか。(横浜市 EI)

中世の修道院を思わせる男声の朗唱で始まる。二重唱とオルガンは物語を聞いている感じ。聖書朗読に沿って歌われる合唱は、聖書物語の流れを伝える。会衆斉唱をリードするヤンのオルガンは、力強くはっきりと、会衆を歌わせる役目を示す。バッハの森の教会音楽コンサートは、これらの音楽が生まれた時代に戻って、聖書の言葉を語り伝える役割をもった、その音楽本来の響きを伝える。ひととき中世の民衆になって、大聖堂の中にこだまする、修道僧や聖歌隊の歌声、オルガンの響き、会衆のざわめきなどを想像する素敵な時だった。(松戸市 SN)

2004.3.21
バッハの森創立記念コンサート
「麗しく輝くあかつきの星」

報告:
 1985年に創立されたバッハの森の第19回目の創立を記念するコンサート。テーマは「受胎告知祭」(3月25日)。
 H. シャイデマン (1596-1663) 「前奏曲・ト短調」のオルガンの響きに誘われて別世界に入ると、「受胎告知物語」が、ナレーター、天使ガブリエル、処女マリアの3人の朗読者によって朗読され、それに合わせて、シモーネ・マルティーニ、フラ・アンジェリコなど、ルネサンス期の画家が描いた美しい「受胎告知」のスライドが次々と映し出されました。大写しにされたマリアの表情が、驚き、服従、喜びと変わっていく様子が印象的でした。
 その後で、J. クリューガー (1598 - 1662)の、詩篇98篇1節によるラテン語の3声合唱曲「主に向かいて歌え」が歌われました。

 Cantate Domino 主に向かいて歌え、
 canticum novum 新しき歌を。
 quia mirabilia fecit なぜなら、彼は驚くべきことをなしたまえば。
 salvavit dextera sua 彼はその右手によりて救いたまえり、
 et brachio sancto suo. またその聖なる腕によりて。

この歌は、「主に向かいて歌え」と口々に歌い出すと、「新しき歌を」で弾み、「救いたまえり」で次々に押し寄せる波のうねりとなり、最後はハンマーで叩くような強い「腕」を示しています。
 次に宗教画「受胎告知」の象徴について解説がありました。天使の口からマリアに向かって飛び出しているラテン語“Have gratia plena Dominus tecum”は「今日は、恵みに満たされた方、主があなたと共におられます」という意味、天からマリアに差す光の中を飛ぶ鳩は聖霊、天使が持つオリブは平和、白百合は純潔を表す、等々。
 プログラム後半で、コラール「いかに麗しく輝くか、あかつきの星は」“Wie schoen leuchtet der Morgenstern”全7節を、オルガン、ハンドベル、斉唱、二重唱、合唱などで演奏しました。バッハが受胎告知祭のために作曲したカンタータ(BWV 1)は、このコラールに基づくコラール・カンタータです。
 救い主の輝きに心奪われ、彼の愛を讃美し、彼を慕い憧れる想いで究極の喜びに達するコラールに、参加者全員が感動しました。
 まずD. ブクステフーデ (1637 - 1707)のオルガン曲(BuxVW 223)が、明けの明星がキラキラ輝くような、イェス・キリストの輝きを多様な音色と音型で描くと、続いてハンドベルが、石田一子の編曲により、1節の歌詞の抑揚と意味を忠実に表す熱演をしました。

Wie schoen leuchtet der Morgenstern
いかに麗しく輝くか、あかつきの星は。
voll Gnad und Wahrheit von dem Herrn,
主の恵みと真理に満つ、
die suesse Wurzel Jesse.
エサイの甘き根。
Du Sohn Davids aus Jakobs Stamm,
汝は、ヤコブの幹より生じたるダビデの子、
mein Koenig und mein Braeutigam,
わが王、わが花婿にして、
hast mir mein Herz besessen;
わが心を奪いたまえり。
lieblich, freudlich,
愛らしく、優しく、
schoen und herrlich, gross und ehrlich, 
美しく、素晴らしく、偉大で高貴、
reich an Gaben,
賜物に富み、
hoch und sehr praechtig erhaben.
気高く、まことに壮麗にして崇高な方。

 その後で、1節の日本語訳詩を男声ユニゾン、同節を、J. ショップ(? - c.1664)の編曲で、ソプラノの二重唱がコンティヌオ・オルガンに支えられて華麗に歌うと、2節、3節はM. プレトリウス(1571 - 1621)の編曲による4声合唱、その後でS. シャイト (1587 - 1654)のオルガン曲にオーケストラ・ベルでツィンベルシュテルンを模した響きを入れて演奏。4節はJ. S. バッハのカンタータ(BVW 172/6)から4声合唱とオルガン。再びオルガン曲(J. パッヘルベる〔1653 - 1706〕)を挟んで、5節はS. シャイトの4声合唱、6節は再びJ. ショップのソプラノ二重唱とコンティヌオ・オルガン。7節はJ. S. バッハのカンタータ(BVW 1/6)から4声合唱とオルガン。続いて同節を日本語訳詩で参加者全員が歌いました。
 最後に、父なる神の慈しみを信じる信仰を告白するコラール、「われらみな一人の神を信ず」のオルガン曲(BWV 680)が、オルガノ・プレノで朗々と響き渡りました。

オルガン:石田一子
ソプラノ:寺嶋麻衣子、比留間恵
コンティヌオ・オルガン:金谷尚美
合唱と朗読:バッハの森クワイア
ハンドベル:バッハの森ハンドベルクワイア
解説:石田友雄

聴衆の感想:
 こぢんまりとして心地良い空間と環境、最高に素晴らしい響き。オルガン演奏は益々冴えて素晴らしかった。歌声が天使の声のように聴こえる。ハンドベルの美しい響きにも感動。今まで二、三のハンドベルの演奏を聴いたが、他に類をみない感動だった。(横浜市 NU)

 小学生の時にハンドベルの演奏を聴きに来て以来、久しぶりにバッハの森に来た。木の香りの中、パイプオルガン、合唱、二重唱、ハンドベル、皆、素晴らしかった。忙しい毎日を送っているが、今日は心穏やかな時間を過ごすことができた。(土浦市 MO)

 木に囲まれた奏楽堂の別世界のひととき、有り難うございました。(水戸市 MS)

 心洗われるような素晴らしいコンサート、有り難うございました。石田友雄さんがリーダーだった、学生時代のワークキャンプで合唱したことを思い起こしました。(ひたちなか市 KU)

 道に迷いながらやっと着きました。教会の礼拝が終わってからうかがうことができ、今日は嬉しい日。私たちのチャペルでもこのような音楽会を開くことができたらどんなにいいでしょうか。よい音楽と歌声、有り難うございました。(水海道 YS)

 受胎告知のスライドは朗読と解説がつき分かり易く、合唱とオルガン演奏に清々しい想いがしました。奏楽堂の雰囲気が、静かな中にも温かさがあって飾ることなく親しめました。バロック音楽は好きでしたが、もっと好きになりました。(谷和原村 YI)

 バッハの森の創立記念日に相応しく美しく充実したプログラム、有り難うございました。素晴らしい演奏の豊かな音と響きに包まれて、幸せ一杯の時を過ごすことができ、心満たされる思いがしました。(東京 YK)

 オルガンの生演奏を初めて聴きましたが、CDとは違って納得がいく響きでした。ハンドベルが単旋律から和声に変わったところや、オルガンに鈴の響きが入ったところ、その他いくつかの場面で背中がぞくぞくしました。私の席からは、特にテノールの方々が全身を使ってのびのびと歌っているのがよく見えましたが、あんな風に歌えたらいいなと思いました。コンサートの後のお茶の時間に、石田友雄さんがある方となさっている会話の中で、「バッハの森ではコンサートのためではなく、日常生活の中の音楽を追究している」とおっしゃっていたのを耳にして、バッハの森のコンセプトと「日常性を掘り下げること」を座右の銘にしている私自身の思いが重なりました。(つくば市 EI)